究極に癒された状態とは?


癒し。

 

癒しについて考えれば考えるほど、
世の中の大抵の真理と同様、
パラドックスだらけであることに
気づきます。

 

 

ステップメールの最後でも
癒しの完結についてお話ししていますが、
現時点でわたしが考える
「癒された状態」について
ちょっとアップデートしておきたいと
思います。

 

 

結論。

 

 

「癒された状態」と、
「悟り」は、
よく似ています。

 

 

悟りの究極の定義は、
「なにがあっても気にしないこと」 だと、
わたしは思っています。

 

 

それが天変地異でも
人間関係でのひどい裏切りでも
破産でも
犯罪被害でも、
なんでもいいのですが、

 

 

人生で起きる
あらゆる出来事が
気にならない。

 

 

悟りとは、
そういう状態であり、
別に、
神と融合するような
至高・至福体験をすることでは
ありません。

 

 

癒された状態も、
同じです。

 

 

わたしのセラピールームのドアを叩く人は、
ありとあらゆる悩みを
抱えています。

 

 

痛みなどの身体的苦痛、
あせりや鬱、
絶望などの精神的苦痛、
人間関係のトラブル・・・
などなど。

 

 

で、
わたしが目指しているのは
そうした苦痛を
クライアントさんの人生から
完全に取り除くことでは
ないのです。

 

 

だって、
それは不可能だから。

 

 

この不完全な
身体という入れ物に
入っている限り、
どこかを切れば痛いし、
誰かに嫌なことをされれば傷つくし、
心配事があれば不安になる。

 

 

それは、
どんな至高体験をした人でも
同じです。

 

 

わたしが目指しているのは、
「その症状があっても
大丈夫な自分」
です。

 

 

どこかが痛くても
不安があっても
人間関係でつまづいていても
まあいいや。

 

 

そう思えて、
それらの症状に
振り回されない自分になる。

 

 

 

それが
セラピーの究極のゴールだと
わたしは考えています。

 

 

で、
ここからがパラドックスなのですが、
症状が消えることがあるとすれば、
そういう自分に
すでになった後です。

 

 

 

自分の中で起きることを
すべて許したときに初めて、
症状は
自分から自然に
消え去っていきます。

 

 

 

で、
完全に消失しなくても
全然問題はない。

 

 

だってその時すでに自分は
症状があっても
大丈夫な状態に
なっているから。

 

 

だから、
わたしがやっているのは、
つらすぎてとても耐えられないような
激しい症状の
エッジを落とすサポートです。

 

 

今までの痛みが10だったとして
それが5になれば、
10だったときほど、
その症状を
嫌がらないでいられます。

 

 

だって痛みが半分に減るのは
それ自体
すごく楽なことだから。

 

 

で、
その症状を
ただそこに置いておくことができる =受容することができると、
痛みは、
それが今の自分に不必要なものであれば、
勝手に自分の心身から
出ていってくれます。

 

 

そして、
完全に出ていかなくても
全然問題はない。
なぜなら (以下同文 笑)。

 

 

どんな心身の苦痛があっても
それが気にならない自分になれば、
人生に 何の問題もありません。

 

 

(そしていわゆる
「ネガティブ」な感覚・感情が
実はどれほどのギフトであるかは
こちらの記事をお読みください)

 

 

で、
これほどシンプルなことであるにもかかわらず、
人がなかなか悟れないように、
究極に癒された状態というのも、
なかなかに難しいです。

 

 

(偉そうに書いているわたし自身、
心身の不快感が完全に気にならない状態からは
程遠いです 汗)

 

 

でも、
上に書いたような真理を
情報として持っておくのは
とても役に立ちます。

 

 

すくなくとも
「この不快感を完全になくしたい」という
非現実的なゴール設定を
自分に課さなくて すむからです。

 

 

(不可能なゴール設定をすればするほど、
どんどん心身に力が入り、
ますますしんどくなってしまうのは
容易に想像がつきますよね)

 

 

あなたも、
ちょっとずつ、ちょっとずつ、
自分に起こるすべてのことを
許せる自分に なっていきましょうね。

 

 

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