手術前の1ヶ月〜娘を我が家に迎えるまで その10


大変お待たせしました。前回の続きです。(2ヶ月も経ってしまいました・・・^^;)

またもや青天の霹靂〜娘を我が家に迎えるまで その9

頭痛で病院を受診し、脳腫瘍と診断された私。

色々なお医者さんの意見を聞き、やはり今回は手術するしかないだろうと言う結論に至り、
一ヶ月後に手術の日程が決まりました。

実を言うと、その一ヶ月は、私にとってある意味人生最良の1ヶ月でした。

 

腫瘍はおそらく良性だろうという話でしたが、
それでも、場所が場所なので、手術の最中にどんなことが起こるか分からない。
(実際、手術前には、「耳が聴こえなくなるかも」「顔面が麻痺するかも」「嚥下障害が起こるかも」・・・と、あまり楽しくない可能性を20個くらいずらずら並べた同意書にサインさせられました)

神経が縦横無尽に走っている部位なので、うっかり大事な神経を切られでもしたら、即いのちに関わるわけです。

 

そういう、1ヶ月後に自分の命がどうなるか分からないという状況に置かれるのは、
何というか、非常に覚醒する体験でした。

 

人間、死ぬ瞬間にはそれまでの人生が走馬灯のように頭の中でフラッシュバックされるといいますが、
私の場合も、それに少し似ていて、
自分を覆っていた霧がさっと晴れわたったように、
人生で何が本当に大切なことなのかが、急にクリアになり、
自分の内側が、しーんと静かになる感覚がありました。

もちろん、時折死の恐怖が頭をもたげてはくるのですが、
それ以上に、私をほとんどの時間満たしていたのは、
自分が受け取っている、あらゆるサポートに対する心からの感謝と、内面の穏やかさ、そして静かな喜びの感覚でした。

(ちなみに、私があれほど夫に優しかったのは、後にも先にもあの1ヶ月だけでした。手術が終わってしばらくしてから「いい夢みさせてもらった」と言われましたっけ・・・^^;)

 

以前もブログに書いたことがありますが、
腫瘍がわかったとき、自分の人生で何かやり残したことがなかったか考えてみたのですが、
本当に、何もなかったんです。

行きたい場所もなく、やってみたいこともなく、会いたい人もいない。

それまでにやりたいことは全部やり、行きたい場所には全部行き、会いたい人には全て会っていたので。

なので、振り返ってみても、出てくるのは感謝の気持ちしかありませんでした。

 

・・・・でも、よくよく考えると、やり残したこと、実は一つだけありました。

それは、子どもを産み、育てることでした。

わたしは欲張りなので(笑)、
せっかく女性として生まれたのに、女性が経験できることをすべて経験しないで死ぬのはすごくもったいないなあと感じたのです。

 

まずは妊娠、出産。

身体系セラピストだったこともあり、妊娠や出産を通じて、自分の身体が何を体験し、何を感じるかにとても興味がありました。
(子どもを育てる自信がなかったときも、出産だけはしてみたいと思っていたくらいですから)

 

そして子育て。

もちろん、以前も書いたように全然自信はありませんでしたが、
日々成長する存在が自分の家にいるというのは、本当に崇高で楽しいことに違いない。

 

「子どもが欲しい」という気持ちを現実感を持って感じたのは、この時が初めてでした。

 

・・・続く。