あっという間に、1月も半ばですね。
年末年始は
サンフランシスコで過ごしていました。
なんと、
6年ぶりの里帰りです。
留学から戻って以来、
こんなに長く海外に出なかったのは初めてだったので、
出発前はちょっとドキドキして
思わず「地球の歩き方」を買いそうになりましたが(爆)、
到着してしまえば、
街並みも人も当時と変わらず、
(物価は爆上がりしてましたが・・・涙)
なつかしい場所や友人を訪ね歩く
良い旅になりました。
その旅で再会した
大切な大切な友人と話していたときに、
わたしが長年抱えてきた孤独感と
人に愛されないという恐怖の元となった
小学校2年生の時のエピソードが出てきたので、
これはこの件について解放しろというサインだと思い、
こちらでも書いてみることにします。
(前にこの記事で予告しておいた話です。
本編までに1年半もかかってしまいました・・笑)
わたしは幼稚園の年長で
名古屋から大阪に引っ越していじめに遭い、
それまでの超外交的な性格から、
引っ込み思案でおとなしく、
友達も少ない子どもになっていました。
そんなわたしが、
小学2年のある朝、
教室に入ると、
部屋の壁に張り紙がしてありました。
その紙の上部には
誰かの文字で、
「藤原さんを好きか?嫌いか?」
と書いてあり、
その下には
真ん中に線を引いて
「好き」「嫌い」と
ふたつのコーナーが設けられ、
子どもたちの名前が
それぞれのコーナーに書かれていました。
「好き」の方に名前を書いてくれていたのは、
たったの2人。
それ以外の全員の名前が
「嫌い」の方に
リストアップされていました。
その後のことは
よく覚えていないのですが、
教室に入ってきた担任にそれを伝え、
彼がその張り紙を壁から外したことは
覚えています。
でも、
そのいたずらについて
きつく子どもたちを叱ることもなく、
淡々と普段の授業が
始まったように記憶しています。
今に至るまで
誰がそれをやったのかは知らないし、
というか、
クラスメートたちの名前も顔も
ほとんど思い出せませんが、
「好き」に名前を書いてくれた
2人のことは
よく覚えています。
当時のわたしの
数少ない
お友達だったから。
で、
今のわたしであれば
35人のクラスメートのうち
たった2人でも、
自分のことを好きでいてくれる人がいたことを
素直に喜んだことでしょう。
(ま、
自分を心から好いてくれる人の割合なんて
大体そんなもんです。
世界中の人からまんべんなく浅く好かれるよりも、
たった数人でも、
本当に自分のことを愛してくれる存在がいることのほうが
どれほど尊いかが
今のわたしになら
よくわかるからです)
でももちろん、
2年生のわたしは、
そんな風に考えることはできませんでした。
わたしの心身をえぐったのは
世の中の大多数の人は
自分のことを嫌いかもしれないという
恐れです。
はい、
これはただの
「恐れ」です。
事実ではありません。
「嫌い」に名を連ねた子どもたちだって、
それを張り出したいじめっ子の手前
そうしたのかもしれないし、
(かなりいじめの多いクラスでした)
本当のことなんて
誰にもわからないんですから。
しかしながら
その恐れは
それから何十年もの間
わたしの心身を
蝕むことになります。
どんなに多くの友人に囲まれていても、
わたしはずっと
「自分には友達がいない」と
感じてきました。
(ほらほら、ちゃんと2人はいたのにね!)
そして、
本当に正直に言うと、
今でも
ちょっとした出来事がきっかけで
その恐怖や孤独感に
襲われることがあります。
でも、
今のわたしが
こころから愛しく思うのは、
そう信じ込んでしまった
ちいさな自分と、
ほとんど誰にも告げずに
心の奥底にしまいこんで
何十年も苦しんできた
その苦しい感覚、
そのものです。
ちいさなわたしが
その感覚を
骨身に染み込んでしまうほどに
全身で受け止めていたことは
間違いないからです。
それほどまでにわたしは
両手を広げて
全世界を自分の中に
取り込んでいたんだと思うと、
その無防備さと無垢さに
打たれるのです。
そしてそれは
この地球に住む
すべての子どもたちが
行っていることです。
子どもは全身が
感覚気管だからです。
で、
無防備に
あらゆるものを
取り込んだ結果、
その苦しさに耐えられなくなって、
感覚をシャットダウンして
社会に適応する大人に育った。
そのこと自体に
なんの罪があるというのでしょう。
わたしもそんな
ちいさな子どもの一人でした。
そしてあなたもきっと、
そうだったのでしょうね。
この記事を書くことで
わたしはそんな
ちいさかった自分を
解放してやりたいと思います。
解放するというのはつまり
わたしが当時感じていた
あらゆる感情を
これまで以上に
なかったものにはしないということです。
その感情は
わたしの身体から
すっかり出ていく日がくるかもしれないし、
こないかもしれない。
どちらでもいいんです。
ちいさなわたしが
それを覚えていて欲しい限りは
わたしはそれを
愛おしく
自分の内側に
あるがままに しておこうと思います。
あたなも
同じことができますように。
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