以前、自分が幸せになるのに必要なのは、自分だけだという話を書きました。
今日は、さらに突っ込んで、
幸せの究極の定義とは何か?
について、書いてみたいと思います。
以前も書いた通り、
わたしは、幸せな状態とは、
外的・物理的要因とは、なんの関係もないと思っています。
わたしたちはつい、
お金があれば・・
パートナーがいれば・・・
もっと容姿がよければ・・・ と考えてしまいますが、
たとえあなたが絶世の美女でも、
自分のことが大嫌いだったら、ぜんぜん幸せではないし、
あなたが大富豪で、豪邸やプライベートジェットを何機持っていても、
常に心がざわざわと不安でいっぱいだったら、全然幸せではありません。
あなたが仮に、スーパースターだとしても、
マイケル・ジャクソンの人生を見ればわかるように、
世界中に何千万人の熱狂的なファンがいたって、 それだけで幸せが保証されるものではないし、
ノーベル賞受賞者だって、オリンピックの金メダリストだってそうです。
もちろん、学歴だって、幸せとは関係ない。
わたしの大好きな安冨歩さんは、新進気鋭の経済学者時代、
自分の書いた論文で、 日経・経済図書文化賞という有名な賞を受賞したらしいですが、
受賞前は、 「その賞が取れなかったら自殺する」とまで、思い詰めていたそうです。
だから、受賞したときに感じたのは、
喜びではなく、 束の間の安堵感だけで、
またすぐに自己嫌悪に悩まされ、
それから逃れるために、何かをがむしゃらに達成しようとする・・・という、
無限ループにはまっていたそうです。
つまり、 社会的な達成や、所有しているもの、
あるいやパートナーや子どもなどでは、
あなたの本当の幸せは、 何一つ保証されないということですよね。
では、しあわせって、一体なんなのでしょうか?
わたしが考える、しあわせの究極の定義を、ここで発表したいと思います。
じゃじゃーん。
(・・・・というほど、大袈裟な話では全然ないです 笑)
わたしは、 しあわせとは、
「幸せ感」 だと考えています。
拍子抜けするほど単純な、 当たり前の話。
それはつまり、 身体の感覚です。
胸のあたりがふわあーとして、
手足の力がゆるんで、
顔が自然とほころんで、
呼吸が勝手に深くなる状態。
そのとき胸に広がる、
なんともいえない、ふわぁーとした感覚。
それが、幸せの究極の定義だと、わたしは思います。
で、我々は、
めったに味わえない、そういう感覚が欲しくて、
高い車買ってみたり、
子どもにお受験させてみたり、
素敵な彼氏を作ってみたりするわけですが、
本来、その幸せ感は、
そういった外的な出来事に反応して起きるものではなくて、
(外側の事象に対して、束の間感じる満足感は、
本当の幸せ感とは違う場合も多いです)
もともと、自分の内側に備わっているものです。
だからこそ、 エックハルト・トールとか、バイロン・ケイティは、
壮絶な苦しみのすえ、その場所に辿り着いたとき、
何ヶ月も、なーんもしないで、
毎日座って、ぼーっと外の世界を眺め、
ほぼホームレスみたいな生活を送りつつ、
その、内側の強烈な幸福感とともに、ただ存在していたわけです。
(そして、その状態が落ち着くと、
今度は、彼らの体験している幸せ感を求めていろんな人が集まってくるので、
今のような立場になって、人々を導き始めるわけですね。
これは、キリストとか、お釈迦様とか、みな同じです)
・・・で。
わたちたちはつい、
「じゃあ、その感覚を味わいたいー!! どうすれば味わえるのよ???」となって、
思いっきり瞑想してみたり、
ヨガの修行をしてみたりするわけですが、
(経験者です 笑)
そういう「何かを達成しようモード」になればなるほど、
本来の幸せ感からは、どんどん遠ざかってしまうんですよね。
(あ、瞑想やヨガが気持ちよくて、ただ好きだからやっている場合は別ですよ)
幸せ感は、
瞑想しようがしまいが、 常に、今この瞬間にあるものです。
こちらの本の中で、著者が、
「ひなたぼっこしている猫の感覚」と表現していた、
まさにあれが、 本来の幸せ感です。
大抵の場合、あなたは、
今この瞬間には、 なんの問題もないはずなんです。
だって、今この瞬間、あなたは、
頭に銃を突きつけられてるわけじゃ、ないですよね?
津波に巻き込まれてるわけでも、ないですよね?
目の前に、差し迫った危険は何もない。
あるのは、
「あれをやらねば」
「これをやらねば」
「あれが起きたらどうしよう」
「これが起きちゃったからもうダメだ」 という、
未来や過去に対する、 いかにももっともらしい、思考だけです。
だからその思考はちょっと脇においといて、
まずはその、 誰の内側にも、必ずある、 ふわあーとした感覚、
猫がただ、ひだまりでゴロゴロ喉を鳴らしているような感覚。
それを、今この瞬間に、 自分の身体の奥底で感じてみてください。
何も感じられないときは、
「その感覚は絶対にある!」と、 自分で決めちゃってください。
(だってそれ、事実ですから)
そう自分で決めれば、 そのうち、必ず感じられるようになります。
その感覚が、たとえ1秒しか続かなくてもいいし、
「気のせいかな」くらいでもいいんです。
なるべく、そういう感覚を感じる時間を増やしていけば、
それだけで、あなたの周りの世界は、
少しずつ変わり始めますよ。
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