この世に存在する、たったひとつの無条件の愛


「無条件の愛」。

 

いい響きです。

 

わたしも、かつてはずっと、無条件の愛に憧れていました。

 

自分が、親から条件つきでしか愛されなかったという思いがあったので、
「どんなわたしでも、そのまま受け入れてほしい」
「何をやっても、許してほしい」
「ありのままの自分を認めてほしい」

 

こんなことを、しょっちゅう考えていたし、
それらを与えてくれなかった親に対して、 恨みや怒りを長年抱いていました。

 

で、自分が親になってからは、
部屋を散らかしまくって、ちっとも片付けない娘に怒りを爆発させたり、
疲れてるのに、「遊んで遊んで」「ママ見て見て」と、
絶え間なく要求されることにイライラして、邪険に追い払ったり、
一生懸命作った夕食を、超偏食の娘に「おいしくなーい」と拒否されてブチ切れたり・・・、。

 

などなどの言動をやらかしては、
「あーわたしって、娘をぜんぜん、無条件に愛せてないなあ〜」 と、
あとから盛大に自己嫌悪に陥ったり、していました。

 

(似たような経験、あなたにもないですか??^^;)

 

でも、最近、 しみじみ気づいたんです。

 

世の中のいわゆる「母性神話」や、
「親の愛は海よりも深い」とか、
「親からの無償の愛」とか、
「子を想う親の気持ちに勝るものはない」 などの、よくある通説は、

すべて、これ以上ないほどの嘘っぱちだということに。

ここ最大限に強調

 

親が子どもを無条件に愛するなんて、本当におこがましいです。

 

というか、無理です。

 

そんな無理難題を自分の親に期待していたから、
わたしはすごく苦しかったし、
そんな不可能な命題を親としての自分にも課してたから、
わたしはすごく苦しかったんです。

 

(そして、これは本当に大切なのですが、
「自分を苦しくするもの」の中に、真実はなにひとつ、ありません。
真実は、常に、「自分を楽にするもの」です)

 

親は、子どもを無条件に愛せません。

 

当たり前です。

 

だって、わたしたちは全員、人間だから。

 

人間だということは、 身体を持っているということで、
身体があるという時点で、すでに不完全な存在だから。

 

身体は、すぐ疲れるし、
怪我や病気をすれば痛いし、
過去に受けたストレスを、すべて細胞に刻み込んでくれているから、
細胞レベルで溜め込まれた怒りや悲しみが、
外からの刺激をきっかけに溢れ出すのは当たり前だし。

 

そんな限界を持つ身体が、
エネルギーの塊で、 どこまでも自己中心的な、
生命力いっぱいの子どもの絶え間ない要求に、
すべて応えられるはずがありません。

 

そして、人間だから、
一番近くにいる相手にいろんなことを期待しちゃっても当然だし、
(わたしは、娘の成績などまーったく気にしないけれど、
ひとり親なので、もうちょっとお手伝いしてほしいなーとはよく思っちゃいます^^;)
その期待に応えてもらえない時に、相手に怒りを覚えたって当たり前です。

 

そして、これはわたしはまったくやりませんが、
(今のところね・・・^^;)
自分の不全感・不安感を、子どものパフォーマンスで
(良い成績、良い外見、秀でたスポーツなど)
埋めようとする親がいても、ぜんぜん不思議ではありません。

 

 

でもね。

 

 

この世にただひとつ、本物の無条件の愛があります。

 

・・・・・。

 

それは、子どもの、親に対する愛です。

 

だから、わたしたちは、本当は、
全員が、無条件の愛を知っているんです。

 

だって、親になったことがない人はいても、
誰かの子どもだったことがない人は、 この世に一人もいないからです。

 

(たとえあなたが、 誕生直後に親を亡くしていても、
何らかの事情で、親元で育てられていなくてもです)

 

ホームレスの子どもたちと働いていた米国時代にも、よく感じていましたが、
親がどんなに子どもを虐待していても、
ろくにご飯を食べさせなくても、
ちょっとしたことでギャンギャン叱っても(←これわたし)、
時にはひどいことを言って子どもを傷つけても(←これもわたし 汗)、

つまり、親がどれほどひどい仕打ちをしたとしても、

 

子どもは常に、
「お母さん、お母さん」って、こちらに来てくれる。

 

 

何か辛いことがあれば、
近くで手厚く面倒を見てくれる施設のスタッフじゃなくて、
「おかあさーん!」と、
泣きながら、そこにいない母親を呼ぶ。
(米国時代の私の体験)

 

 

これがまともな大人だったら、
自分を攻撃してきたり、
罵声を浴びせたり、
言葉で否定してきたり、
常に何かを要求してくるような人がいたら、
普通は、そんな人に近づくことすら、しないでしょう。

 

でも、子どもは違うんです。

 

あなたにどんな欠点があろうが、
どんなひどいことをしようが、
次の瞬間には、もうけろっとして、
「おかあさーん!おとうさーん!」って、
近寄ってくるのが、子どもです。

 

 

これほど無条件の愛が、あるでしょうか。

 

 

そしてそれは、子どもの頃のあなた自身も、
あなたの親に対して、やってきたことなんですよ。

 

 

もしあなたの親が、ひどい虐待をする人だったら、
あるいは、常に何かを要求してきて、
それを達成しないと人間扱いしてくれない人だったら、
さらには、生まれた直後に、自分を捨てた人だったとしたら。

 

そんな人を親に選んで生まれてきたという事実そのものが、
あなたの、愛の深さを物語っています。

 

 

大人になったあなたが現在、どれほど親を恨んでいても、
親とは完全に縁を切っていたとしても、
(ちなみに、それでもまったくオッケーです。
断絶した方がいい親だって、いくらでもいますのでね)
子どもの自分が、彼らをそれほどまでに深く愛していたという事実は、
まったく、揺らぐことはありません。

 

だから、あなたが、今、誰を愛していたとしても、
「私には人を愛する力がない」とは、
ゆめゆめ思わないでくださいね。

 

あなたの無償の愛が、
いかに大きかったかを、
わたしはよく知っていますから。

 

 

次回のブログでは、
子どもたちの愛がどれほど深いかという実例を、
わたしのクライアントさんのケースを紹介しつつ、
お伝えしたいと思います。

 

どうぞお楽しみに。

 

 

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