ADHDという嘘〜その1


皆様、
こんにちは。

ここのところ何度か、私がカリフォルニアの大学院で心理学を学んでいたときのチャイルドセラピーの先生に教わったことを皆様にご紹介してきました。
その時の教えの中で、今でも私に大きく影響を及ぼしている、ある「障害」のとらえ方について、何回かに分けて書いてみたいと思います。

 

ADHD(注意欠陥・多動性障害)という診断名があります。

 

これは、「障害」とされているように、米国精神医学会の診断・統計マニュアル(DSM)では精神疾患のひとつと見なされており、DSMの第5版からは、発達障害のカテゴリーに入っています。
日本でも、ADHD専門の啓発団体があったり、著名人が自分もADHDだと告白したりと、名前だけはかなり知られているので、ほとんどの皆さんが聞いたことはあるのではないかと思います。

 

私はもともと、医者がつける診断名をあまり信用しない人間ですが、ADHDに関しては、ほとんどでっち上げだと思っています。
・・・私の確信に満ちた偏見なので、はっきり言ってしまいます。

 

そして私が何故そう考えるかを、当時授業で聞いた話と、私自身の臨床経験から書いてみます。

 

まずはDSMの、ADHDの診断基準からご紹介します。

 

A1: 以下の不注意症状が6つ(17歳以上では5つ)以上あり、6ヶ月以上にわたって持続している。

・a. 細やかな注意ができず、ケアレスミスをしやすい。
・b. 注意を持続することが困難。
・c. 上の空や注意散漫で、話をきちんと聞けないように見える。
・d. 指示に従えず、宿題などの課題が果たせない。
・e. 課題や活動を整理することができない。
・f. 精神的努力の持続が必要な課題を嫌う。
・g. 課題や活動に必要なものを忘れがちである。
・h. 外部からの刺激で注意散漫となりやすい。
・i. 日々の活動を忘れがちである。

A2: 以下の多動性/衝動性の症状が6つ(17歳以上では5つ)以上あり、6ヶ月以上にわたって持続している。
・a. 着席中に、手足をもじもじしたり、そわそわした動きをする。
・b. 着席が期待されている場面で離席する。
・c. 不適切な状況で走り回ったりよじ登ったりする。
・d. 静かに遊んだり余暇を過ごすことができない。
・e. 衝動に駆られて突き動かされるような感じがして、じっとしていることができない。
・f. しゃべりすぎる。
・g. 質問が終わる前にうっかり答え始める。
・h. 順番待ちが苦手である。
・i. 他の人の邪魔をしたり、割り込んだりする。
(B以下は発症年齢や発症場面などの条件の話なのではぶきます)

 

皆さん、この診断基準を読まれてどう感じましたか??

何かおかしいと思いませんか?

・・・これって、6歳くらいの子どもの、ごく普通の姿ですよね。

 

ちょっと想像してみてください。

 

たとえばある保育園児(仮に太郎くんとします)が、のびのびと外でどろんこになって遊んだり、室内でも好きなときにしたい遊びをする日常を保育園で過ごしているとします。
そして太郎くんがじっと座って人の話を聞くのは、先生がお話を読んでくれる短い時間だけだったとします。

 

そんな太郎くんが小学校に入学した途端、毎日数十分ずつ、机と椅子にしばりつけられ、じっと前を向いて先生が言うことを聞くのを強制されたら、どうなるでしょうか?

 

太郎くんはきっと、もじもじしたり、そわそわしたり、歩き回りたくなったりするのではないでしょうか?

 

しかもその先生の話が、太郎くんにとって全然興味のない、つまらない話題だったとしたら?

 

太郎くんはまったく上の空で、先生の話が耳に入らなかったり、窓の外を通るチンドン屋さんが気になったり、宿題などすっかり忘れてしまったりするのではないでしょうか?
(もしトットちゃんが現代の教室にいたら、間違いなくADHDのレッテルを貼られていたことでしょうね・・・)

 

私はこの診断基準を読んだ時、かなり恐ろしくなりました。
もし、この診断基準にまったく当てはまらない子どもがいるとしたら・・・。
いつも先生の話を集中して聞き、
宿題を決して忘れず、
常に「精神的努力」を「持続」して課題に取り組み、
身の回りはきれいに整理整頓され、
遊ぶときは静かに遊び、
あまりしゃべらず、
じっと順番を待ち、
「座れ」と言われればすぐ着席し、
座っている間微動だにしない子どもが目の前にいたら??

 

・・・・ぞっとしませんか?

 

世の中が、こんな飼い馴らされた家畜のような子どもばかりだとしたら、それはものすごーく恐ろしい社会なのではないでしょうか。

 

つまり、ADHDとは、大人が自分たちにとって都合の良い子ども像を作り出し、
その大人の都合にそって飼い慣らされることを拒絶したこどもたちに、大人が貼りつけているレッテルにすぎないと、私は思います。

 

考えてもみてください。

なぜ今の学校システムは、学級崩壊、いじめ自殺、教師の過労など問題だらけなのでしょう?
それは、システムそのものがおかしいからではないでしょうか?
そのシステムの中にいる多数の人が、大人も子どもも含めて、息苦しさを感じているからではないでしょうか?

だとしたら、おかしいのは子どもたちや、そうした環境で過労や鬱に追い込まれる教師ではなく、システムです。
(私のクライアントには学校の先生も多いので、直接現場の話を聞く機会は結構あり、その窮屈さと先生方の過重労働ぶりには唖然とします)

 

以前にも書きましたが、私が通っていたカリフォルニアの大学院では、授業風景はこのようなものでした。

 

もちろん椅子は並べられているが、どの教室にもたいてい、教室にもともと置いてあったり、自分で持ち込んだりしたクッションを枕にして寝そべっているか、backjack(持ち運びできる座椅子)にもたれて床に座りながら授業を受けている学生がいる。
ベーグルやサンドイッチ、スープを持ち込み、食べながら授業を受けている人も多数。先生ですら、食べながら講義をしていることもある(笑)。
もちろん、トイレなどで途中で出入りするのも自由。
そんな感じだと皆だらけでいるかと思いきや、どの授業もとても活気があり、質問も討論も活発で、居眠りしている生徒などどこにもいない。

 

・・・ま、かなりヒッピーな大学院だったので、米国の大学院がみなここまでレイドバックとは限らないかもしれませんが(笑)。

 

 

こういう自由な講義スタイルを満喫してから日本に帰国した後は、逆カルチャーショックの連続でした。

 

心理士会の研修に参加すると、ほとんどの研修は長時間大教室で前を向いて座り、ずーっと講師の話に耳を傾けるというスタイルです。

 

そして、公立中学校にスクールカウンセラーとして行ってみると、同じようなスタイルで生徒たちが授業を受けているのはもちろんのこと、合唱コンクールでは、音楽の先生が、それぞれのクラスの歌が終わった後の聴衆の拍手のタイミングまで指導していました。

 

このように、日本のいわゆる「学習」環境では、ほとんどの場所で、じっと座って皆と同じことをすることが求められます。
そして、拍手のタイミングの指導でも分かるように、先生方は子どもたちの内側から出てくる自然発生的な衝動を打ち消そう、打ち消そうとする動きばかりしているように思えます。

 

このような環境では、居眠りしたり、「早く終わらないかな〜」と時計ばかり見たり、心ここにあらずで他のことを考えたり、そわそわしたりしてしまうのも当たり前です。
現に私は、研修会では毎回睡魔と戦うのが大変でした。今はもう、ほとんど顔を出しません(笑)。

 

何故ならそれらは、人間の自然な生理的欲求を無視したシステムだからです。
好きな姿勢で、好きなときに動き、好きなことをやるのが、生き物の正常な姿であり、
その自然の摂理を無視したシステムが、うまく行くわけはないのです。

 

こういう環境で飼い馴らされていくと、人は、自分の感覚をだんだん感じなくなっていきます。
何故なら、感じていたらとても苦しいからです。

 

そして、そういう日々を際限なく繰り返すことによって、頭と身体は完全に切り離されてしまいます。
そして最終的には、「自分が本当に感じていること」がまったく分からなくなってしまいます。

 

自分の感じていることが分からないというのはつまり、自分が何者であるかが分からないということです。
これでは生きづらくても当たり前です。

 

何年か前に内閣府が発表した、先進7カ国の13−29歳の若者の意識調査によると、
日本の若者は、7カ国中、自分自身に満足している人、自分に長所があると思っている人、うまく行くか分からないことにも意欲的に取り組む人、自分が参加することにより、社会が変えられるかもしれないと思っている人、将来への希望があると思っている人、の割合が、7カ国中最低でした。

そして、つまらない、やる気が出ないと感じたことがある人、ゆううつだと感じたことがある人、の割合が、7カ国中1位でした。

 

この結果もまあ、無理はないかなと思います。

 

日本は、教育というシステムの中で、彼らの生きる意欲を毎日少しずつ奪っているわけですからね。

 

 

話がちょっと脱線してしまいましたが、ここまでは、ADHDの診断基準がいかにおかしいかという話でした。

「そうは言っても、明らかに多動だったり、異常に忘れっぽかったりする子どもがいることは事実だろう」という反論も聞こえてきそうです。

そうした症状を示している子どもをどうとらえればいいか、そして彼らにはどういう助けをさしのべられるかという話も次回以降していきますので、しばらくお待ちくださいね。

 

次回は、当時チャイルドセラピーの授業で聞いた、ADHD大国であるアメリカで、ADHDという障害がいかに「作られて」いったかというお話をしたいと思います。

 

今日もどうぞ良い一日を。