時間という幻想


皆様、

お元気ですか。

今日これから書くことは、私がこのところ、ずっと感じ考えてきたことなのですが、
人によってはちょっと奇想天外すぎる話になるかもしれないので、そういう話が嫌いな方は、どうぞスルーしてくださいませ(笑)。

さて、少し前にこちらのブログで、Anita Moorjaniさんの本「Dying to Be Me」を紹介しました。
アニータさんは、末期がんで臨死体験をしましたが、こちらの世界に戻ってくることを選び、
生還後、がんが一週間ですべて身体から消えてしまったという、ドラマのような実体験の持ち主です。

本に書いてある、彼女がかいま見た死後の世界の話は、深い洞察にあふれ、どれもとても興味深いものばかりですが、
私が一番興味を惹かれたのは、向こうの世界での「時間」について彼女が体験したことでした。
以下、少し長いですが彼女の話をそのまま引用します。

(訳は藤原)

身体と思考というフィルターを通さない限り、時間は直線的に動くことはありません。
 地上的な感覚に制限されなくなると、すべての瞬間は同時に存在します。
 私は、輪廻転生という概念は、我々の知性による、すべて同時に起きている出来事の単なる解釈にすぎないという理解に至りました。
 私たちは、「時間が過ぎる」という観点で考えますが、
臨死状態では、時間はただそこにあるもので、私たちがその中を通り過ぎているのです。
 これはつまり、すべての時点が同時に存在するというだけでなく、
別の領域では、時間はより速く進むことも、より遅く進むことも、逆上ることも、横に進むこともできるのです。
 しかし、肉体の次元では、私たちの感覚器官が私たちを制限しています。
目はこの瞬間に私たちがとらえられるものだけを見ていますし、耳もこの瞬間にとらえられるものだけを聞いています。
マインドも、ある瞬間のみ存在できるだけで、それらの瞬間瞬間をつぎあわせて直線的な連鎖を形成しています。
 でも、私たちが身体から抜け出ると、私たちはすべての時間、空間を意識によって横断します。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚ではなく、私たちは純粋な意識になるのです。
 私は、臨死状態のときにそれを体験しました。
私は兄が飛行機に乗って私に会いにくるのに気づいていましたし、病室の外の廊下での医師たちの会話にも気づいていました。私は、自分の未来についての多くの側面がすべて見渡せましたし、もし私がこの肉体に戻ってこなければ何が起こるのかも理解しました。(中略)
臨死体験の間、私は、自分がアクセスする必要があるどの時点にも焦点を合わせられると感じました。
 このために私は、誰かがこれまで「過去生」と解釈されてきたものをかいま見るとき、その人は実際には今の時間と並行した、あるいは同時進行している存在にアクセスしているのだと気づいたのです。
なぜなら、すべての時間は同時に存在しているからです。
 私たちはすべてつながっているので、別の実在が現在の瞬間を通じて垣間見え、まるで記憶であるかのように私たちの意識に入ってくるのです。
(引用終わり)

「時間は実は直線的ではなく、すべての時間が同時に存在している」という考え方は、
すごく面白いし、実は私には個人的にとても腑に落ちるのです。

以前私は、このブログで「過去は変えられる」という記事を書きました。

これは、クライアントが癒されて行けば行くほど、彼らが過去の良い思い出にどんどんアクセスすることが増えていくという私のセラピストとしての体験を元に書いたものなんですが、
アニータさんのこの本を読んで、
実は、彼らは、良い思い出にアクセスできるようになったのではなくて、
今の自分が癒されると、その影響で、同時に存在している過去も実際に変わったのではないか……と思うようになりました。
だから、以前は全然思い出せなかったことが記憶として突然出てくるようになったんだと。

えっ、オカルトっぽすぎますか(笑)?

でも私、実はひとつ、自分の実体験としてもあるのですよね。

私は以前、自分の小学校4年生頃は、ひとつも良い思い出がないと思っていました。
親とはうまく行かないし、何も構ってくれないし、家も学校も楽しくないし、自分は可愛くないし、本当に不機嫌でつまらない子ども時代だったという記憶しかありませんでした。

ところが、インテンシブなセラピーを何年も行った米国暮らしから帰国して間もなく、何がきっかけだったのか、小4の夏休みと冬休みに学校の宿題で書いた自分の日記が出てきたのです。

それを読むと、まあ、何と行事盛りだくさんの日々だったこと(笑)。
夏休みにはお父さんが家族旅行に連れていってくれたし、クリスマスにはちゃんとお母さんがチキンを焼いてくれたし、お正月にはおばあちゃんの家で親戚一同でたのしく遊んでいました(爆)。
極めつけは、「旅行も楽しかったけど、うちに戻ったらやっぱり家が一番いいと思った」という一文です。
おい私、何で家が大嫌いだとずっと思ってたんだ?って感じでした(笑)。
それを読んで、すごく不思議な感じがしたことを今でも覚えています。

今現在の自分さえ癒されれば、過去さえも実際に変わると思うと、何だかワクワクしませんか?

「私には誰も愛してくれる人がいなかった」
「いつも仲間はずれにされていた」
「親に虐待されていた」
こういう記憶が、
「私にはあんなに可愛がってくれた近所のおばさんがいた」
「私と仲良くなってくれたA子ちゃんがいた」
「お母さんから、あんなに優しくしてもらった」
という風に変わるとすれば、何てうれしいことでしょう。

過去はもはや「取り返しのつかないこと」じゃなくなるんですよ。

悪いことが起きたとしても「過去生のカルマだ」などと思う必要もなくなります(笑)。
今の自分さえ、癒すことができればね。

世の中にはいくらでもチャネリングやリーディングをするサイキックの人たちがいて、
その人たちが言っていることが真実かどうかなんて、誰にも分からないと思うのですが、
アニータさんの場合、実際の末期がんが一瞬で治癒したという物理的証拠があるので、
その人の言うことは、少なくとも本当なんじゃないのかと思うんです。
そして、そう考えた方が楽しいので、なおさらですね(笑)。

さあ、皆さんも、現在の自分を癒すことによって、どんどん自分の過去を変えませんか(笑)?
そしてご一緒に、思い通りの人生を生きていきましょう。

旭山記念公園から拝んだ、今年の初日の出です。
前日まで吹雪の予想だったんですが、私のパワーで見事覆しました(笑)。
どんな悪天候でも、自分が晴れて欲しい時には必ず晴れるというのが、私の数少ない特技のひとつです。
絶対に晴れなくてはいけない行事がある方は、どうぞ私を誘ってください(笑)。