過去は変えられる


さて本日は、
トラウマセラピストとしての私が大発見した
人生の秘密を
皆さんとシェアしたいと思います。

 

 

それは、
「過去は変えられる」
ということです。

 

 

…皆さん、驚かれましたでしょうか。

 

 

 

そうですよね。

「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」なんていうのが、
一応世の中の常識になっていますものね。

 

 

 

でも、実は違うのです。

 

 

 

記憶をつかさどるのは脳ですが、
実は、こと記憶に関しては
脳はあまりお利口さんではありません。

 

 

このことについては、
私のトラウマ療法の師であるピーター・リヴァインが
「心と身体をつなぐトラウマ・セラピー」(雲母書房)の中で
すぐれた説明を行っているので、
その一部を紹介します。

 

 

 

 ベルグソンは、脳の働きは過去を保存することではないという主張において
時代をはるかに先取りしていました。

「それを覚えているから、何が起きたのか知っている」という概念は、
体験のさまざまな要素から意味を創り出す人間の必要性がもたらした
幻想であるという説を示している理論家は数多くいます。

 

著書「記憶とは何か」の中で、
イスラエル・ローゼンフィールドは意識体験の領域を徹底的に調べ、
いくつもの驚くべき結論に達しています――。
特に、私たちが通常考える記憶という概念は
不適切かつ誤りであると述べています。

 


彼はその理由を、「私たちが頼りにするのは固定したイメージではなく、
過去が現在にとって適切であるようなやり方で作り直したもの
――つまり想像――である」と言っています。

 


免疫学における初期の研究でノーベル賞を受賞したジェラルド・エーデルマンは、
こうした現象を「記憶にある現在」と適切に呼んでいます。

 


アクター・アーセンは彼の著作「直感心理療法の基本概念」の中で、創造性と固定記憶は正反対であることを示しています。

 

 記憶は、出来事を時系列的に記録したものではなく、むしろとんまな人と戯れているのに近いものです。

 

心は、当時の印象に従って、色、イメージ、音、におい、解釈、そして類似の覚醒と感情を持つ反応の中から選択を行い、
さまざまな組み合わせでそれを前面に押し出して我々が記憶と呼ぶものを作り出します。

 

生存に関係する記憶は、ある特定の種類の知覚であって、
出来事の正確な刻印ではありません。

 

この意味で、記憶は有機体が体験のゲシュタルト(全体としてのまとまり)を
作り出すプロセスなのです。

 

このゲシュタルトは実際の出来事の忠実な描写の場合もあるし、
いくつかの異なる出来事からくる無関係の情報を元にした解釈――つまりモザイク――になってしまう場合もいくらでもあります。

 

こうした理由で、目撃者はしばしば同じ事件に対して驚くほど異なる説明をするのです。

 

 

つまり、私たちが過去の出来事として覚えていることは、
実際に過去に起きた体験とは異なっている場合も多いのです。

 

 

そして、私たちの記憶の内容を決めているのは、
実は、私たちの現在のあり方なのだと、
特に最近、
日々のクライアントの皆さんとのセッションを通じて
私は痛感するようになりました。

 

 

私のところへ来るクライアントさんたちは、
大小さまざまな心の傷を抱えていらっしゃいます。

 

最初、彼らの口から説明される過去の体験を聞いていると、
本当に厳しくつらいものに聞こえますが、
セッションの回数を重ね、
彼らが癒されていくにつれて、
そうした体験以外の
さまざまな記憶が彼らによみがえってきます。

 

 

それは例えば、
自分をいつも虐待ばかりしていたと思っていたお母さんから
すごく優しくされた思い出だったり、
家族に1人も味方がいないと思っていたはずなのに、
実は近くに住んでいたおばあちゃんが
いつも自分を助けてくれていたことだったり、

 

さらには、一つの体験の中にでさえ、
今までとはまったく違う意味を持つような
別の側面の記憶がよみがえってくることさえあります。

(ある旅行の思い出が、
自分ではすごく嫌だったと記憶していたのが、
実は楽しかったなど)

 

 

これはすべて、その人の現在のありようが、
過去へと投影されて起こるのです。

 

 

生きるのがつらい人にとっては、
自分の生きていた道筋すべてが
「つらい」というレンズを通してしか見えませんが、

 

現在の自分が少しずつ癒されてくると、
そこに「幸せ」という別のレンズが現れるのです。

 

 

それはもちろん、
その人の過去に本当にあったつらい出来事を
否定するものでは全くありませんが、
そうしたつらい出来事があったにもかかわらず、
「幸せ」レンズを通して見ると、
「こんないいこともあったんだなあ」ということが見えるのです。

 

それが見えると、
つらい体験も含めて、
過去と現在の自分をますます肯定できるようになり、
より「幸せ」レンズが大きくなる。

 

 

私は、
クライアントの方々とのセッションで、
記憶が変容していくこうした瞬間に、
特に最近、しばしば立ち会うという幸運に恵まれてきました。

 

 

これは、本当にうれしいし、
希望が持てることです。

 

 

 

だから、
もし今つらい思いをしている方がいたとしても、
決して絶望しないでください。

 

 

つらさを解消するのに、
過去の痛みを掘り起こす必要はまったくありません。

 

 

ただ、今の自分を癒してあげましょう。

 

 

それによって、あなたの未来だけでなく、過去も必ず輝きだしますから。