こちらの記事の続きです。
女性性ととてもつながりが深く、蘇りの地でもある熊野で9月に開かれた第一回女性性会議。
今回の会議では、個人的に、どうしてもやりたかった分科会がありました。
それは、「子どもを産まなかった女性たちの集い」です。
このブログの読者の皆さんはご存知の通り、私は、子どもを授かれなかった人間です。
なんども流産を繰り返し、何年もさんざん苦しんだのちに、養子縁組で娘を迎えるという選択をしました。
(このテーマでは、プロローグと番外編を入れて26本も記事を書いてしまいました・・・ ^^;)
本当にありがたいことに、私の腕の中には今、私のことをママと呼んでくれる可愛い娘がいます。
でもいまだに、あの、子どもが授かれなくて七転八倒した日々は忘れていません。
(詳しい経緯は、上記シリーズをお読みください・・・26本あるけど 笑)
そして、不妊に悩む女性がこれだけいる昨今なのに、
子どもを産みたくても産めなかった女性たちが、その痛みについて語る場所はほとんどないのです。
私は、産んでないけど母親であるという、かなり特殊な立場なので、ラッキーなことに交友関係がとても広く、
女性の集まりに行くと、その場にいる全員が母親のこともあれば、全員が子どもを産んでいない女性のこともあります。
お母さんグループはもちろん子どものことをたくさん話すのですが、
お母さんじゃない女性たちのグループで、自分に子どもがいないこと、産まなかったこと(産めなかったこと)が話題になることはほぼありません。
それが証拠に、今回この分科会を一緒にファシリテートした大知早恵さんとも、分科会をやるまで、お互いの体験について話したことはありませんでした。
(なので私はずっと勝手に、早恵ちゃんは子どもが欲しくなくて、あえて産まなかったんだと思っていました)
アメリカで、不妊治療はしたけれども結局子どもを授かれなかったPamela Mahoney Tsigdinosさんという作家が書いた、「Silent Sororily」という本があります。
「Sorority」とは、アメリカの、女子学生の社交クラブのことです。
子どもがいない女性は、所属メンバーがどのソロリティよりも多いはずなのに、
彼女たちが一堂に会する場所はなく、皆ひっそりと、一人で悲しんだり苦しんだりしているだけなのです。
不妊治療がどれほど身体の負担になるのかも、
宿った命がお腹の中で死んでいることが分かった時のショックや悲しみも、
そんな時に友人から届く出産のニュースでどれほど心をかき乱されるかも、
ほとんどの人は語りません。
そしてそこには、大きな恥の感覚もあります。
他の人の良いニュースを心から祝福できない自分を責めたり、
「子どもが産めない自分は女性として半人前」、つまり「Woman enough」ではないと感じたりする体験はきっと、子どもを産めなかった女性の多くが持っているはずです。
本当は、子どもを産もうが産むまいが、その人が女性であることには何ら変わりがないはずなのに。
そして、どんな感情でも感じてよく、それを感じる自分を責めることはまったくないのに。
そして、傷は水面下に潜れば潜るほど、その人が属している社会全体を蝕んでいくものです。
奇しくも、今回の女性会議のテーマはvulnerability。
vulnerabilityとは、自らの傷を認め、受け入れ、そしてオープンにすることです。
誰かが言うように、恥の感覚の唯一の解毒剤は、共感です。
傷をオープンにし、他者から共感してもらって初めて、恥の感覚は消える。
一人で抱えて苦しんでいる限り、ずっと恥の感覚は続くし、
したがって多くの女性が持つ傷も癒えることはありません。
だからどうしても、このことについてオープンに語れる安全な場所を作りたかった。
このために私は今回熊野に来たと言っても過言ではないくらいです。
本当に本当に、やってよかったです。
集まった女性は10人ほど。
わざわざ、この分科会のためだけにご参加くださった地元の女性もいました。
10人いれば10通りのストーリーがあって、
何一つ、同じ話はない。
そして、それが自発的な選択にせよ、止むを得ない結果にせよ、
子どもを産まなかったという事実は入り口に過ぎず、その奥にはその人の人生全体があり、
その人が抱えてきたあらゆる傷がある。
だから、このことについて語るのは、その人が抱えているあらゆる傷も同時に癒すことになるのかもしれない。
そう感じました。
私はかねがね、自助グループの持つ力について公言していて、
自分のクライアントさんにも常にさまざまな自助グループへの参加を勧めてきましたが、
今回、自助グループのパワフルさも再認識しました。
同じ体験をしたもの同士でしか、分かち合えないことは確かにあります。
本当に、良い時間でした。
静かで、たくさんの涙が流れて、深い感動があって、
それぞれが改めて、自らの本質と深くつながれるような、
そして自分は決して一人ではないと実感できるような。
最後は皆でろうそくを吹き消して。
終わった後も、参加者一人一人が、他の全員とハグをしている姿を見て、
本当に、この場所が作れてよかったなと思いました。
私たちは来年もまた女性性会議を開く予定でいますが、
この分科会は、これからも続けていきたいと思います。
そして、これをきっかけに、これまで声を持たなかった女性たちが自分の声を分かち合える場所が各地にできていくといいなと思います。
最終日に大斎原の河原で皆が拾い、祈りを込めてアルターに置いた小石を、
その翌日、私たち残ったスタッフが、祈りと共に河原に戻しました。
この分科会だけではなく、今回の会議全体が、新しい流れの始まりだったという感覚がすごくあります。
ささやかな人数でささやかに始まったにすぎませんが、
始まりとはそういうものです。
このささやかな流れが、いつか大きな河になって、たくさんの女性が自分の力を取り戻していけますように。
心から、そう祈っています。
(そしてきっと、そうなると思います!)
会議が終わった日、地元スタッフ、西谷安代さんがオプショナルツアーを企画してくれました。
ツアーの目玉が、川遊びでした。
泳ぐつもりはなく、水着は持参しなかったのですが、
水が本当に気持ち良さそうだったので、思わず服のまま川に入ってしまいました(同じことをした参加者がたくさんいました 笑)。
地元の人しか入れない、素晴らしい苔の神社も案内してもらいました。
最初から最後まで、本当に良い時間でした。
遠路はるばるご参加いただいたみなさま、本当にありがとうございました!
また来年、ぜひお会いしましょう。
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