前回の記事の続き。1年前の話です。
ダークルーム初日、午後7時からの最初のセッションで、ジャスムヒーンさんによる歓迎のメッセージとリトリートの説明、お互いの自己紹介、瞑想を済ませた後、
私たちは、それぞれの部屋に引き上げました。
建物の電灯が完全に消え、ダークルームが本格的にスタートするのは午後11時。
部屋へ戻る前に、自分のiphoneをジャスムヒーンさんに預け、
(これは義務ではありませんでしたが、ダークルームでの体験を深めるために、光の出るデバイスはなるべく彼女に預けることを勧められました)
うっかり身体をぶつけて灯りがついたりしないように、部屋の電灯のスイッチに貼るテープももらいました。
長時間のフライトで疲れていた(プラス、どこでもすぐ寝るのが特技の 笑)私は、ルームメートのスイス人、エステルに消灯とテープ貼りを頼み、早々にベッドに潜り込んで眠ってしまいました。
どれくらい眠ったことでしょう。
ふと目覚めた私は、自分が完全な暗闇の中にいることに気づきました。
普通は、夜中に目覚めた直後は目の前が真っ暗でも、暗闇に目が慣れるにつれて室内が見えるようになるものですが、
いつまでたっても真っ暗。目を閉じても開けても、全く同じ色の闇。
そのうち自分が目を開いているのか閉じているのかも分からなくなって、何度も目をパチパチしちゃいました(笑)。
これまでにも、善光寺の戒壇巡りなどで真っ暗闇は経験したことがありますが、
漆黒の闇の中で目覚めるという体験はおそらく生まれて初めてでした。
それから丸9日間、この暗闇の中で過ごしたわけです。
日々のスケジュールは、午前と午後に2回ずつ、それぞれ1−2時間のセッションが行われます。
もちろん時計は見えないので、集合を知らせる鐘の音だけが頼りです。
セッションは、ジャスムヒーンさんのお話や質疑応答やチャネリングだったり、彼女のガイドによる瞑想だったり、音楽やムーブメントだったりとさまざまで、
毎回、彼女の直感で決められていきます。
でも一番長かったのは、それぞれの個室で過ごす時間でした。
ダークルームはそれこそ、古代のヨギが洞窟にこもって行う瞑想を模したものなので、
各々の参加者が一人で過ごす時間が、もっとも大事にされていました。
時間はたっぷりすぎるほどありましたが、
なんせ真っ暗でスマホもパソコンも本も読めず、
基本的には沈黙のリトリートなので同室者とのおしゃべりもできず、やれることは限られています。
そして自分に与えられているのは、自分のベッドとその周りのわずかなスペースのみ。
私の場合、9日間でやったことは、多い順に大体以下の3つでした。
ー寝る。
ー雑念にふける。
ー瞑想する。
・・・笑。
本当はヨガもしたかったのですが、大理石の床はヨガをするには固すぎ、ベッドは逆に柔らかすぎたので、あまり身体は動かせませんでした。
(ヨガマットを持参しなかったのが悔やまれます)
起きている時間は全て瞑想に費やしたいと思っていたのですが、
瞑想をしているうちに眠くなって寝てしまったり、雑念が湧いてきて気づいたらどっぷり思考にはまっていたりなど、なかなか瞑想が深まっていきませんでした。
・・・少なくとも、その時はそう感じていました。
(実はそうではなかったことは、帰国してから気づきました。
瞑想についてはそのうち詳しくお伝えしますね)
そして、雑念にふけっているだけだと思っていた時間が、実は非常に貴重なものでした。
とにかく時間だけはたっぷりあるので、
自然と、これまでの人生を振り返ったり、周りの人たちとの関係を振り返ったりするようになり、
そのときもたらされた気づきこそが、わたしが今回ここに来た目的だったんだということが、日を重ねるにつれてはっきりと分かるようになりました。
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ジャスムヒーンさんの教えの中心は、ものすごくシンプルです。
それは、
「自分の本質(essence)につながって生きること」です。
彼女はそれを、統合意識(unity consciousness)で生きることとも言っています。
(プラーナ食への移行は、そうした意識状態の結果自然にもたらされるものであり、それ自体が目的ではないと彼女はいつも話しています)
本質で生きる、統合意識で生きる状態とは、
「すべての人の中に自分を見ること」
「人生が恩寵(grace)に満ちていて、
自分のハートが感謝と共感に満ちていること」
だそうです。
「あなたのハートが常に感謝に満ちていて、
あなたの人生が恵みに満ちていなければ、ライフスタイルを変えなさい」というのが、彼女が繰り返し話していたことでした。
9日間、食べ物を摂らずに暗闇の中で過ごし、
ジャスムヒーンさんという稀代のマスターと同じ空間で瞑想したり、彼女の宇宙意識から語られる深遠なストーリーに感動したり、素晴らしい音楽を全身に浴びたりしつつ、
視覚からの刺激が全くない環境でうんざりするほど自分と向き合う時間を持ったとき、
空腹感や身体的な苦痛、感情の揺れ動きを超えたところで、自分の奥深くでこれまで解けなかったパズルが解けたような瞬間が、何度かありました。
こういう体験をすると、自分に必要な情報が勝手に向こうからやってくるというシンクロが、普通に起こるようになります。
ちょっと話は飛びますが、
タイから自宅に戻った日、たまたま居間にあった暮らしの手帖(春休み前に、勤務先の学校の図書館から借りてきたもの)をぱらぱらとめくっていて、伊藤守さんというコーチングの先生のエッセイを見つけました。
そのエッセイには、彼が数十年にわたり、時折インドを訪ねてあるグルの元で瞑想修行をしているという話が書かれていました。
グルの他のお弟子さんたちは、光を見たり、身体に変化が起きたりという体験をしているのに、彼には何も起きなかったといいます。
そこで彼は、グルに尋ねました。
「ずいぶん長いあいだ、瞑想を続けていますが、私は悟ったり、光が見えたりしません」
「それは残念だね、特別な体験がないんだね」
「はい、ないです」
「ところで、お前の人生はどうだ?」
「人生ですか?そりゃ、家族は元気で、仕事も少しずつですが発展しています。結構、いい感じですよ」
そのときグルは、彼の方を見て言ったそうです。
「イトウ、それ以上の奇跡があるか?」
・・・・私がダークルーム体験で得た最大のギフトは、まさにこのグルの言葉通りのものでした。
自分がすでに与えられているものに対する、心の底からの感謝。
特に光も見えなかったし、キリストや聖母マリアが耳元で話しかけても来なかったし(笑)、
テレパシーで日本にいる娘との会話もできなかったけど、
自分の何気ない日常こそが、奇跡の連続なんだということを、理屈ではなく心の底から気づけたこと。
それ以上に素晴らしいギフトがあるでしょうか。
自分の人生が恩寵と感謝に満ちていなければ、いくら超常体験をしても、それはいっときのエンターテイメントにすぎませんものね。
そして、透視能力や予知能力がなくても、私は私として、すでにちゃんとサイキックな能力を持っていたんだということ(そしてそれは本来、すべての人が持っている力なのだということ)も、私がこのタイのリトリートで分かったことでした。
・・・続く。
4月に、東京で個人セッションを行います。どうぞご利用ください。
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