ジャスムヒーンさんのダークルームリトリートその3「瞑想」


前回の記事の続き。1年前の話です。

ジャスムヒーンさんのダークルームリトリートその2「それ以上の奇跡があるか?」

 

ダークルームの参加者は41人。
ジャスムヒーンさんの知名度や波動の高さを考えると、9日間もの間、たったの41人で彼女を独占できるのは、ものすごく贅沢な時間でした。

ジャスムヒーンさんも同じ建物内で寝泊まりしていたので、
どうしても助けを求めたいことがあれば、休憩時間に彼女の部屋を訪ねても良いことになっていましたが、
彼女は繰り返し、
「暗闇そのものが、あなたの師です。
何か疑問が心に浮かんでも、ただ暗闇の中でその疑問と共にいるだけで、勝手に向こうから答えがやってきたり、
質疑やシェアの時間に、誰かの言葉の中にその答えが見つかったりするかもしれません。
なので、私のところに来る前に、まずは、母なる暗闇に答えを求めなさい」
と言っていました。

母なる暗闇(Mother Darkness)そのものが、最大の師。
ダークルームの真っ最中にはあまりぴんと来なかったのですが、
彼女の言葉の真意を実感したのは、タイからの帰国後でした。

瞑想の深さが、これまでとは全然違っていることに気づいたのです。

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私が瞑想を始めたのは、サンフランシスコの大学院(CIIS)に通い始めた20年ちかく前です。

世界一素晴らしいヒッピーな大学院で学んでいたおかげで、
(なんせCIISは、ヒッピームーブメントが始まった60年代に、ムーブメント発祥の地・サンフランシスコのヘイトアシュベリーで、スタンフォードで哲学を教えていたインド人教授によって始まった大学院ですからね)
ほぼ全てのクラスで教授陣から「瞑想しなさい、瞑想しなさい」と口すっぱく言われ、
この20年間、本当にさまざまな瞑想をかじってきました。

最初はヴィパサナ瞑想で、スピリットロックというベイエリアの有名な瞑想センターにちょくちょく通い、
サンフランシスコの禅センターにももちろん行き、
ティク・ナット・ハーンの瞑想グループに加わり、チベット仏教の先生にも教えを請い、
最終的にはパラマハンサ・ヨガナンダに深く傾倒し、クリヤヨガの伝授を受け、
(私が一番長く実践したのはクリヤヨガです。もう何年もやっていませんが・・・)
帰国後は、臨済宗の僧侶を師に座禅と断食を組み合わせたリトリートに何十回も参加し・・・と、
娘が我が家に来る4年前までは、断続的にではあるものの、ずっと何らかの瞑想や禅を習慣にしてきました。

なぜそんなに熱心にやっていたかというと、
やはりどこかで「救い」を求めていたからだと思います。

自分の奥深くに、通奏低音のように流れている、
漠然とした不全感。

その不全感を何とかしたくて、アメリカくんだりにまで(笑)行き、ガッツリ心理学やスピリチュアリティを学んだわけです。
もちろん同じ目的で、心理療法やヒーリングなど、癒し系のこともいろいろとやってきました。
瞑想と癒しは私にとって、内面の探求というコインの表裏でした。

かつては、私にとっての瞑想は「修行」の一環だったと思います。
また、これまで私が師事した瞑想の先生は、全員が男性でした。

でも今回初めて、ジャスムヒーンさんという女性の師に瞑想をリードしてもらって、気づいたことがあります。

これまでの、
背筋をまっすぐ伸ばして座り、
長時間微動だにせず行う瞑想は、非常に男性的な瞑想だということです。

ジャスムヒーンさんによると、
瞑想には色々なスタイルがあっていい。
ダンスしたり、身体を動かしながら瞑想してもいいし、横たわって瞑想してもいい。
(ただ、眠ってしまうのは勿体ないので、寝てしまいそうな時は自分の場所から離れ、壁際の椅子に座って瞑想することを勧められました)
そしてそれは、女性的な瞑想の方法であると。

目からうろこでした。
結跏趺坐や半跏坐で足のしびれに耐え、脂汗をかきながら一つの姿勢を保って瞑想しなくてもいいなんて。

わたしはこれまで、瞑想するとすぐに眠くなる方で、
(結構解離してますのでね 笑)
スピリットロックでかつて参加した11日間のヴィパサナ瞑想のリトリートでも、大半が睡魔との戦いだったのですが、
ダークルームでの瞑想は、一度も寝落ちしませんでした。
考えてみれば当然かもしれません。
身体を動かしてはダメだという縛りがあれば、身体の不快感から逃れたくて寝てしまいたくなるかもしれませんが、
ダークルームでは、辛ければ身体を動かせば良かったんですから(笑)。

それでも、ダークルームの最中は、特に瞑想で深い体験をしたという実感はありませんでした。

でも帰国し、自分の部屋で座って目を閉じたとき、本当にびっくりしました。
一瞬にして、私の意識がダークルームに戻ったからです。
あの時の暗闇の色、質感がありありと閉じたまぶたの裏によみがえり、
母なる宇宙の胎内にいるような感覚になりました。

それは、自分の中に深く深く降りていくという体験でした。

一度など、座って目を閉じた瞬間、後ろから何かに背中を思い切り押され、
ドスンと落とし穴にはまったように感じたことすらありました(笑)。

ダークルームでジャスムヒーンさんは繰り返し、
「世間ではアセンションがもてはやされているけど、アセンションは必要ないのよ。
本当に必要なのは、自分の本質に降りていくこと(ディセンション)なのよ」と言っていました。

・・・そっか、これがそうなんだ。
本当だ。
なーんだ。
私が探し求めていたものは、はるかかなたの空遠くにではなく、自分の内側にちゃんとあったんだ。

はっきりと、腑に落ちました。

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自分の中に降りていくと、呼吸が即座に変わります。
ものすごくゆっくりになり、
自分が息を吐ききったと思った後でも、不思議とまだ吐き続けることができる。
そして、そこで止まり、
なぜか、息を吸うのを忘れてしまう。

もちろん、吸わないと死んでしまうので(笑)、最終的には呼吸は入ってくるのですが、
あんまりにもゆっくりなので、試しに時間を計ってみたら、少ないときは1分間で2呼吸しかしていませんでした( ´∀`)。

呼吸がそういう状態になると、周りの空気が全く違って感じられます。
世界から急に音が消えます。
そして、自分の内側にはしーんとした、深い静寂があります。

・・・むちゃくちゃ気持ちいいです。

かつて、瞑想は私にとって、「しなくちゃいけない」ものでした。
それが今は完全に「したい」ものに変わりました。
その暗い静かな場所にいるのは、とても平和で心地良いからです。

その変化も、修行=男性性から、心地よさ=女性性へのシフトなんだと思います。

この瞑想体験を、ダークルームでルームメートだったスイス人のホメオパス、エステルにメールでシェアしたら、
(ちなみに彼女は、今回のダークルームをきっかけにほとんどプラーナ食に移行したそうです)
「あなたが体験しているのは、まさにゼロポイントフィールドね」と言われました。

私、ゼロポイントという言葉知らなかったのですが、
色々と検索してみて、なるほどと思いました。

確かに、瞑想のたびに私が降りていくのは、ゼロポイントフィールドの描写に似た場所です。
そこでは常に何かがリセットされる感覚があります。
毎瞬毎瞬、新しく何かが生まれます。

今も、この文章を書いているだけで、その場所にすぐに戻れる感じがします。

そういう「戻れる場所」を自分の中に見つけたこと。
それはきっと、あの母なる暗闇の助けがあってこそだったのでしょう。

以前の私は、ろうそくをつけて瞑想するのが好きでしたが、
今は、ろうそくの光が邪魔です(笑)。
暗闇が、本当に安らげる場所になりました。

マザー・ダークネスに、心から感謝しています。

・・・続く。


タオガーデンにはこんな素敵なプールも。
もちろん、ダークルームから出た後は泳ぎましたよo(^▽^)o。

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