「わかって欲しい」。
あらゆる生き物のなかで
人間だけが持つ
根源的な欲求です。
つい先日、
ご招待いただいて
東京に日帰りで
お芝居を見に行ったのですが、
(とてもよかったです!)
このお芝居のテーマも
まさにそれでした。
一番わかって欲しい家族に
自分のことを
理解してもらえない。
それによる
深い苦悩。
これは古今東西
あらゆる映画や文学で
取り上げられてきた主題です。
それほどまでに 人は
「わかってもらう」ことを
必要とする生き物です。
そして人がちゃんと
「理解」されるかどうかは
さまざまな場面で
ある意味、
死活問題になります。
例えば、
息子が自分の親を殺したとして、
その背景が、
単に親のお金欲しさだったり、
素行をなじられた末に
かっとなってやったのか、
親の介護を
何年も何年も
自分の生活すべてを犠牲にして
やってきたのち、
絶望の末に及んだ犯行だったのかでは、
同じ行為に対しての判決も
かなり異なったものになることでしょう。
だから
社会的動物であるわたしたちが
自分のことを周りに
「わかってもらう」ことはきっと、
生きていく上では
必要不可欠です。
そして、
周りの誰もが
自分の本当の苦しみに気づかず、
自分の本当の姿を知らなくても、
たった一人でも、
それに気づいている人、
知ってくれている人がいるだけで、
それが生きるよすがになるほどに、
人間にとって、
誰かに 「わかってもらえた」と
感じられることは
大切です。
でも悲しいかな、
すべての人が
そういう理解者に
恵まれるわけではありません。
それに、
そもそも
人が別の人のことを
完全に「わかる」ことなど
可能でしょうか??
・・・それはおそらく
不可能だと
わたしは思います。
だって、
あなたは
世界にたった一人の
ユニークな存在であり、
あなたが生きてきた道のりを
完全に知っているのは
あなただけだから。
あなたが本当は
何を感じ考えているのかを
すべて知っているのも
あなただけだからです。
だから、
この広い世界に
たった一人だけ、
あなたのことを
完全にわかってくれる
存在がいるとしたら。
答えはもうお分かりでしょうが、
それは
あなた自身です。
そして、
今のあなた自身から
「わかってもらう」ことこそが、
あなたの中にいる
つらい体験をした
ちいさなあなたが
心から望んでいることなのです。
たとえ
世界中の人が
あなたのことを理解したとしても、
あなた自身が、
自分のことを否定していたら、
あなたの心は
永遠に満たされることは
ないかもしれません。
だから
常にあなたと一緒にいる
唯一の存在である
あなた自身が、
過去の自分のことを
一番にわかってあげてください。
「わかる」とはつまり
「受け入れる」ということです。
自分では過ちだと思っている
過去の自分のすべての行為、
誰にも言えないと思って隠している
過去のさまざまな出来事、
それをすべて、
あなたが
自分自身に対して
認めてあげる。
なにひとつ、
なかったことにしない。
むちゃくちゃシンプルだけれど
結構難しい、
そのことさえ 自分に許せば、
あなたの無意識は、
一番わかって欲しい人から
ようやくわかってもらえた安堵感で
ゆっくりと満たされていくはずです。
実はこれ、わたし、
自分のためにも
書いています。
というのも最近
ある出来事がきっかけで
周りの人たちに
自分をわかってほしいというモードが
すごく出てきていたからです。
そういうときこそ、
周りではなく自分自身に矢印を向け、
自分を認め、
許し、
理解する。
今それを
実践している最中です。
だからあなたもよければ、
一緒にやってみませんか。
「世界中の誰一人
わたしのことを理解してなくても
わたしにはわかる」
「わたしには
わたしがいる」
これ、 本当ですからね。
あなた自身が
あなたのことを
心から受容できますように。
わたしはいつでもそれを
お祈りしていますね。
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