幸福。
人生の究極の目的ですね。
わたしたちはみな、
なんとか幸福になろうとして
日々もがいているといっても
過言ではないと思います。
そしてメディアは、
「こうすれば幸せになれる」
(あるいは、こうすれば不幸を免れる) という情報を
日々、垂れ流しています。
でも、
テレビや雑誌の言う通りにしたところで、
決して幸せにはなれないし、
テレビや雑誌が言うところの幸福は、
ほんものの幸福とは
一切関係がありません。
わたしが考える幸福の定義については、
こちらにたっぷり書いてあるので↓
ぜひお読みください。
で、
上の記事にあるような幸福感は、
どうすれば味わえるのか。
あれを書いた時点では
まだわたしにもはっきり答えが出ていなかったのですが、
最近、
手っ取り早く幸福感を感じる
最適な方法のひとつが見つかったので
今日はそれをご紹介します。
幸福感を感じる、
簡単な方法。
それは、
「自分の手で ものをつくる」
ことです。
つくるものは
なんでもOKですが、
ただ飾ったりするものよりは
日常で使えるものであれば
なおいいですね。
野菜でも、
編み物でも
裁縫でも
木工品でも
カゴ編みでも。
そして
材料費がかからないものほど
なおのこと、
作り上げたときの喜び、
それを生活で使うときの喜びは
大きくなります。
わたしは去年から
竹細工を始めたのですが、
竹林から竹を切り出して
竹ひごを作ったり、
かごを編んだりしているときの楽しさ、
作品が完成したときの喜びは、
本当にかけがえがないです。
喜びをもって
自分の手を動かし、
無から有を生み出す。
そこには本当に、
理屈では説明できない、
深い幸福感があります。
これは、
実際に手を動かした者だけが
味わえる喜びです。
これまで、
わたしたちはあまりにも、
「消費する」という行為に
慣れきってきました。
消費こそが善であり、
喜びだから、
消費の前提としてどうしても必要になる
「お金」があることこそが、
幸せの象徴だと
思い込まされてきたわけです。
でも、実は、そんな社会は、
せいぜい、 過去100年くらいのことに過ぎません。
かつての我々はみな、
多かれ少なかれ、
自分の手でものを生み出しながら
暮らしてきました。
竹細工だって
もともとは、
お百姓さんが、
農閑期である冬場に
それぞれの家で
行っていたことです。
自分の手で竹を切り、
ひごにして、
かごやざる、農機具を編む。
そしてそれを、
農作業や台所仕事に使う。
それは、
早期リタイアした現代の大金持ちが、
毎日ゴルフ三昧したり
五つ星ホテルに泊まったり
高級レストランで美食に舌鼓を打ったりするような
表面的な贅沢に比べて
どれほど深いレベルで
静かな幸福感を
与えてくれるものだったことでしょう。
(本物の幸福感は、
いっときのワクワク感とは全然違います。
本物のしあわせ感は、
おだやかに、しみじみと、
しずかに全身に染み渡るものであり、
ずっと持続するものです)
で、
そういう
本物の幸せ感は
大量生産、大量消費を善とする
お金至上主義の生き方からは
決して生まれません。
権力者たちは
それを知ってるからこそ
マスコミを通じて一大プロパガンダを打ち、
「これを持っていなければ」
「この体型でなければ」
「この学歴がなければ」・・・
幸せになれないよ、という嘘を、
繰り返し繰り返し、
わたしたちの骨身に
叩き込んできたわけです。
でも、
そろそろ、
目を覚ますときです。
わたしたちには本来、
必要なものは
すべて与えられているので、
先のことを思い煩う必要も、
必要以上にお金を稼ぎ、
溜め込む必要も
ないのです。
それを
頭での理解ではなく、
身体で実感するために、
あなたもよければ、
今日から
自分の手を動かして、
なにかものを作ってみませんか?
どんなに些細なものでもいいんです。
チラシを使った
生ゴミ入れだって
いいんですよ(笑)。
たとえどんなに
不器用な出来であれ
自分で使うのだから
無問題ですo(^▽^)o。
自分で作ったものを、
自分で使う。
そのときに自分が
身体の奥底で感じる
穏やかな満足感を
ぜひ味わってみてください。
人生って本当は
すごくシンプルなのです。
わたしがこれまでに作ったかごの一部。
とても人様にお見せできるような出来じゃないのですが、
いいんです、自分で使ってるだけだから(笑)。
マドモアゼル愛先生が、同じテーマについて話している動画はこちら。
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