「いのちが大切」。
よく聞くセリフですよね。
災害の際、テレビのアナウンサーは、
「ただちに命を守る行動を取ってください!」と叫ぶし、
学校でいじめによる自殺者が出るたびに、
校長先生が子どもたちを講堂に集めて、
「いのちの大切さ」について話すし、
自死遺族や犯罪被害者の家族は、
「いのちの大切さ」について、全国を講演して回るし。
ためしに、「命の授業」で検索してみると、
出るわ出るわ、
多くのページがヒットします。
「命の授業」に取り組む自治体、
会社社長、
学校、
助産師さん・・・、
などなど。
性教育とからめて、この種の授業が行われることもあるようですが、
「あなたがこの世に生を受けたのは、何億分の一の確率。
だから、命を大切にしようね」
という文脈で、使われることが多いみたいですね。
今回のコロナ騒ぎだって、
「いのちが一番大事だから」という大義名分のもと、
みんな、理不尽な休業要請やマスクの着用に耐えているわけです。
・・・・でも。
そろそろ、みな気づき始めてもいいころです。
わたしたちの社会は、
いのちが一番大切なフリをしてるだけで、
実は、全然、いのちを大事にしてないことに。
いのちを大切にするというのは、
「何がなんでも、死なないようにする」ことではありません。
しかも、
「いのちを大切にする」っていうのは、
概念ではありません。
「わたしがこの世に生を受けたのは奇跡。
だから、命を大事にしよう!」 というのは、
ただの考えです。
じゃあ、具体的に、
いのちを大事にするって、どういうことなのよ??
・・・と尋ねられたときに、
まともに答えられる人って、どれくらいいるんでしょうか。
「ただ生き長らえる(=死なない)」ことを至上命題として、
いろんな活動を制限したり、
口元を、呼吸を妨げるもので四六時中覆ったり、
大切な人に会えなくすることが、
本当に、いのちを大切にしていると言えるのでしょうか。
「自殺はよくない。いのちを大事に」と説教しつつ、
狭い教室に大勢の子供を閉じ込めて、
同じ授業を一斉に受けさせ、
そのペース、環境についていけない子どもたちを「落ちこぼれ」扱いにする
現在の教育システムは、
本当に、いのちを大切にしているでしょうか。
病院での延命措置もそうです。
「生き続ける」ことが善で、
「死は敗北」と見なすから、
とにかく生命活動の維持のみを優先して、
死期が近い患者をチューブにつなぎ、
強制的に栄養を入れて、
ただ心臓を動かし続ける。
その処置を施されている側の苦痛など、
ほとんど省みられることはありません。
死期が迫った身体は、ちゃんとそれに向けて準備を始めます。
だから自然に食事も摂らなくなるし、
それによって水分が徐々に身体から抜けていって、
文字通り、「枯れるように」息を引き取る。
それが、もっとも苦痛が少ない、自然な逝き方です。
それを、「食事が摂れなくなったから」と、
点滴で無理やりに栄養を入れても、
死を迎える準備をしている身体にとっては、
苦痛以外の何者でもありません。
わたしたちは、死因の第一位が「老衰」ではないことを、
当然のように受け入れていますが、
そんな社会は、 やはりなにかおかしいと、
わたしは思います。
そして、別に死期が近くなくても、
大手術を終えたり、 大事故に遭ったりして、疲労困憊している身体が、
いきなりぱくぱく食べ物を食べたいだなんて、思うはずがない。
なのに、とにかく、
「栄養を取れ!」と チューブだらけにされる。
(わたしも脳腫瘍の手術の後、 同じような目に遭ったので、
自分の体験として、それをよく知っています)
これらの現象は、
「いのちが大事」どころか、
いのちを本当に粗末にする行為です。
いのちは、
今この瞬間に生きているからこそ、いのちです。
そして、いのちは、
身体に宿っているものです。
だとしたら、
将来の(誰にでも絶対に来る)死を先延ばしすることに、
全力を挙げるのではなく、
そして、ものすごくつらいのに、
ただ歯を食いしばって生き続けるのではなく、
毎瞬毎瞬、自分のからだが心地よいこと、
からだと心が喜ぶことを選択し続けることこそが、
いのちを、本当に大切にするということなのだと、
わたしは思います。
いのちとは、「生きる喜び」のことです。
そして、
「いのちを大切にする」という場合の、「いのち」とは、
何よりもまず、自分のいのちのことです。
「誰かを死なせないように」と、
他者の命を、自分よりも優先して、
したくもないマスクをしたり、
打ちたくないワクチン打ったり、
会いたい家族に会うのを制限する行動は、
ぜんぜん、いのちを大切にしていません。
だって、
この世に、
自分のいのち以上に尊いものは、
なにひとつないからです。
(それとは逆のメッセージが、
世の中に溢れていることは十分承知ですが、
敢えて言います)
そして、
身体にいいものを食べたり、
適度な運動をしたり、
健康に気をつければ、
いのちを大切にしていることになるかといったら、
それは違います。
(わたしの周りには、
ものすごく健康に気を使い、
食べるものを厳選し、エクササイズに励んでいても、
ちゃんと癌で死んでしまう人が、
いくらでもいます)
大事なことなので、繰り返しますね。
「いのちを大切にする」というのは、
自分のいのちを大切にすることで、
あなたがもし、
嫌なことを我慢したり、 周りに合わせたりしているとしたら、
それは、自分のいのちを、粗末にしているということです。
そして、「いのちを大切にする」とは、
毎瞬毎瞬、自分のからだが心地よいこと、
からだと心が喜ぶことを選択し続けること、
です。
むちゃくちゃシンプルです。
今は、世界中に、いろんな宗教があふれている時代です。
お金教、
(お金がないと生きていけないと信じる宗教)
病院教、
(医者の言うことを全部鵜呑みにする宗教)
学歴教、
(学歴さえあれば幸せになれると信じる宗教)
・・・などなど。
でも、
あなたの本当の神殿は、
あなた自身のからだです。
あなたのからだは、
毎瞬毎瞬、
不快感、痛み、不調、病気などの形で、
(あるいは心地よさ、喜び、深い呼吸などの形で)
あなたにご神託をくださっているんです。
外にいるどんな神様よりも、
あなたのことをよく知っている神様、
それが、あなたのからだなんです。
自分のからだを、ナメちゃだめですよ。
あなたが抱えている問題に対する解決策も、
すべてからだは持っています。
だからできれば、
本当の意味で、
いのちを大切にして(身体の声を聞いて) 生きていきたいものです。
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