癒しに「なぜ」は必要ない


毎日寒い日が続いていますね。
つい最近年が明けたと思っていたのに、気づけばあっという間に旧正月も過ぎてしまった今日この頃(笑)、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、最近ふと、折に触れてクライアントさんには話しているのに、一度もブログでは書いていないテーマを思い出したので、
今日はそのことについてちょっとお話してみたいと思います。

「自分はどうしてこんなに苦しいのだろう」
「なぜ私はいつも同じパターンばかり繰り返してしまうのか」
「なぜあの人は私にあんなひどいことをしたんだろう」
セラピーをしていると、ときどきこんな疑問をクライアントさんから聞くことがあります。

なかには、涙が出てきたときに「なぜ泣いているのか分かりません」とおっしゃる方も。

人はとかく、理由を知りたがる生き物ですよね。
そのおかげで、科学が進歩したり、
「なぜ」を5回繰り返すことでトヨタは世界的な大企業になったり(笑)、
文明が発達したりしたのかもしれませんが、
癒しの場では、「なぜ」「どうして」という疑問符は、実はまったく必要ではありません(断言)。

そもそも、なぜ人は癒しの場で「なぜ」という疑問を持つのでしょう?

それは、「理由が分かれば自分は癒される」と考えているからだと思います。

これは催眠療法の影響かもしれませんが、
催眠などで、表面意識からはまったく消えていた子ども時代の虐待などを劇的に思い出したり、
あるいは、もっと遡って過去生での出来事を思い出したりして、
「私がこんなに苦しいのは、こういうことがあったからなんだ!」と目からうろこが落ちたような気分になり、
その記憶を発掘したことで、気持ちが楽になったり、つらい症状が消えたりする……といったイメージを癒しに対して抱いていらっしゃるのかもしれません。

でも、理由が分かれば楽になるかというと、実はそんなことはないのです。

そもそも、自分が苦しい理由を見つけるのは、そんなに難しいことではないですよね。
人間は頭が良いので、自分の問題がどこにあるかは、頭のレベルでは大抵分かっています。
「私は子どもの頃母親に愛してもらえなかった」でもいいし、
「小学校の時にいじめに遭った」でも、
「父親が母親に暴力をふるうのを見ながら育った」でも、
それらの複合でも何でもいいのですが、
自分の苦しさの理由について聞かれれば、それを説明できる方がほとんどです。

でも、理解しただけでは、人は楽にはならないのです。
なぜなら、人間が頭で理解できることというのは、意識全体の1割程度にすぎないと言われているからです(学者によってはその割合はもっと少なく、5%という人も、3%という人もいるそうです)。

1割の顕在意識で理解したり、記憶を発掘したりしたとしても、残りの9割の潜在(無)意識が癒されなければ、本当の癒しは起こりません。
(忘れていた出来事を思い出したとしても、それだけでは楽にはなりません。それどころか、つらい記憶を思い出したことで余計に具合が悪くなってしまうケースもあります)
そして、無意識が住んでいるのは、どこか宇宙のかなたではなくて(笑)あなたの身体です。
長椅子に寝て一生懸命精神分析を受けたり、夢を分析したりする必要もありません。
身体に直接つながり、身体の声に耳を傾けることが、
自分の無意識につながり、深いレベルで癒されていく最速の近道なのです。

もしあなたの最終的な目的が原因の探求ではなく、癒しだとすれば、
「なぜ」という疑問符を捨てるところから始めてみましょう。
(そもそも、幸せな人は、「なぜ自分が幸せなのだろう?」とは考えませんよね 笑)
そして、身体の声を直接聴いてみませんか?

……最後にひとつお知らせです。
3月30日、31日に、東京で個人セッションを行います。
札幌までなかなか来られないという方は、どうぞご利用くださいませ。
詳細は、こちらのページをご覧ください。
すべての皆様が、自分らしく、楽に幸せに生きられますように。

(今年の初日の出 California, Ojaiにて)