前回の記事の続きです。
民間の養子縁組斡旋団体から、ダウン症の1歳の男の子との縁組を打診され、イエスと言えなかった私たち夫婦。
今振り返ると、やはりその男の子とはご縁がなかったんだと分かります。
なぜなら、その打診があった時には、すでに我が家の娘は、生みのお母さんのお腹の中ですくすく育っていたんですから。
(もちろん、それを私たちが知るのはずっと後のことですが)
あの時あの話を断っていなければ、おそらく娘が私たちの元に来ることはなかったことでしょう。
そう思うと、あの選択をして本当によかったと思います。
その縁組話を断ったのが、2013年の年末。
そして年が明け、忘れもしない、2014年の2月16日の夜でした。
私がトイレでぼーっと、終わったばかりのソチ五輪の男子フィギュアで見事金メダルをとった羽生結弦くんのことを考えていた時のことです(笑)。
不意に、啓示のように降りてきたメッセージがありました。
(私はトイレに入っている時にインスピレーションを受け取ることがたまにあります)
「もし将来、うちに来る子が女の子だったら、
名前はミヨ(仮名)がいいなあ」
音だけでなく、ちゃんと漢字まで降りてきました。
そして、その名前が思い浮かんだのと同時に、私のハートいっぱいに歓びが広がったのです。
こちらの記事にも書きましたが、
わたしはずっと、何の根拠もなく、自分が子どもを持つとすれば、息子ではなくて娘だと感じていました。
そして、養子縁組を検討し始めた当初から、我が家に来る女の子につけようと思っていた名前がありました。
夫が特にその名前を気に入っていたのですが、
その時降りてきたのは、微妙に違う名前でした。
(漢字も、一文字はそのままでしたが、もう一文字は違いました)
でも、その晩、名前が降りてきた時、わたしには、「この名前こそが、将来の我が子の名前に違いない」という感覚がありました。
そういう感覚はいつも、自分の身体が教えてくれます。
ハートの底から感じる歓びほど、自分にとっての真実はありませんから。
(そして、そのレベルでの歓びをありありと感じられることは、日常生活ではめったにありませんから)
つい最近出版されたばかりの「あなたがお空の上で決めてきたこと」という本があります。
その本には、子どもは生まれる前に、自分で名前を選んでくるという話が載っています。
その名前をつけてくれるように、自分の両親になる人に頼むんだそうです。
わたしはまさにあの時、娘から名前を手渡されたのだと思います。
トイレから出てすぐにわたしは、夫の元へ行って言いました。
「ねえねえ、もしうちに来る子が女の子だったらさあ、
○○じゃなくて、ミヨ(仮名)って名前にしない?」
夫は「うーん・・・。俺は○○が気に入ってるからなあ」。
しばらく二人で話をしたのちに、結局、
実際にその子の顔を見てから、どっちにするかを決めようということになりました(笑)。
むろん、その時点では、具体的な打診があった訳でもなんでもなく、
将来、私たちが本当に親になれるかどうかすら、まったく不明だったわけですから。
そのまま、そんな話をしたことも忘れていましたが、
それから5ヶ月後、
わたしはその名前が、確かに将来の我が子から伝えられたものだという確信を得ることになったのでした。
・・・続く。
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