前回の記事の続きです。
民間の養子縁組斡旋団体の面接を受けてから1ヶ月ほど経った、ある12月の寒い夜のことでした。
私はその日、東京に出張しており、新千歳空港に到着して携帯電話の電源を入れたところ、珍しく、夫からなんども着信があったことに気づきました。
彼に電話をかけると、「○○さん(団体の代表)から、子どもを委託したいと連絡があった。何時でもいいから、今夜中に返事が欲しいんだそうだ」とのこと。
大喜びしかけた私に彼はすぐ、「いや、そんな単純な話じゃないんだ。とにかく帰ったら話すよ」。
帰宅して、彼に聞いた話はこうでした。
委託を打診されたのは、1歳になるダウン症の男の子。
誕生後間もなく、別の養親一家に引き取られ、そこで可愛がられて育っていたが、
産みのお母さんと養親家庭の都合で、そこでの養子縁組が成立しなくなったので、別の家庭を探している。
(詳しい内容は、プライバシーに関わるのでここでは省略します)
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二人して、うーん・・・と考え込んでしまいました。
私としては、
出来るだけ新生児に近い赤ちゃんが欲しかったし、
どうしても男の子を育てるというビジョンが持てなかったし、
(その理由については、こちらのブログに書きました)
すでに親子の絆ができているのに、それを大人の都合で引き離すのはどう考えてもその子のためになるとは思えなかったし、
そして何より、正直に言って、ダウン症の子どもを育てる自信はまったく持てませんでした。
私はもちろん、仕事柄もあり、これまでになんどもダウン症の子どもたちと接する機会があり、
彼らがどれほど天使のようで、存在するだけで周りを幸せにしているかをよく知っています。
ダウン症の可愛い男の子が同じ屋根の下にいたら、本当に幸せなこともたくさんあるに違いありません。
でも、やはり、子育てはきれいごとではすみません。
自分が産んだ子どもであれば、もちろん授かりものとして育てさせていただいたと思うのですが、
養親として、ダウン症の子どもを育てている自分はまったくイメージできませんでした。
しかも、そんな大きな、我々夫婦とその子の一生を左右するような決断を、一晩でしろというのは到底無理。
そう思ったので、私が電話して、電話に出た代表の奥さんに、私たちの気持ちを伝えてお断りしました。
真夜中近くだったと思います。
もちろん、電話を切った後は、さまざまな気持ちに襲われました。
特に、優しくて正義感の強い夫は、「結局オレたちは、命を選ぶのか・・・」と、しばらく落ち込んでいました。
もちろん、私も自分にがっかりする気持ちがなかったわけではありません。
でも、自分ができもしないことを、できるふりをして引き受ける勇気はやはり、私にはありませんでした。
我々であれば引き受けてくれるかもしれないと判断するくらい、我々のことを信頼してくれたであろう代表ご夫妻の気持ちは今でもありがたく思っていますが、
結局、その団体から再び私たちに赤ちゃんの委託を打診されることはありませんでした。
・・・続く。
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