いのちに対する畏敬の念〜娘を我が家に迎えるまで その8


前回の記事の続きです。

最初の流産〜娘を我が家に迎えるまで その7

あの最初の流産は、まぎれもなく私のこれまでの人生に起きた最も悲しい出来事でしたが、一方で、私にひとつ大きな贈り物をもたらしてくれました。

 

いのちに対する畏敬の念です。

 

人がこの世に誕生することは、実はものすごい奇跡の連続で初めて可能になる。
流産を通じて、それを身体感覚としてありありと感じたのです。

 

おかげで、流産後しばらく、世界がものすごく違って見えました。

誰に会っても、その人がこの世に存在しているという事実に感嘆する毎日でした。

街ですれ違うおばあさんを見ても、涙が出るほど感動していたくらいですo(^▽^)o。

 

あんな風に人の存在を感じることができたのは、後にも先にもあの時だけです。
日常生活が戻ってくるにつれて、あの時感じていた感覚は残念ながら薄れてしまいましたが、
日々あのような感覚で目の前の人に接することができたら、人生に何一つ問題はないことでしょう(^o^)。

あの感覚はまぎれもなく、空に戻っていた赤ちゃんからのギフトだったと思います。

 

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当時の私は子どもがすごく欲しかったわけでも、子作りに励んでいたわけでもなく、
私にとって、最初の流産は不意に通り過ぎた台風のようなものでした。

 

台風が去った後の私は、7年ぶりに暮らし始めた日本での生活基盤を作るのに忙しく、
久々に同居を再開した夫との関係を再構築することにもエネルギーを取られ、
いつしか流産は、遠い出来事になっていました。

 

以前知人から予告されていた「ギリギリ感」は、なぜか私の中に芽生える気配すらありませんでした^^;。

 

ようやく重い腰を上げて子どものことを真剣に考え始めたのは、最初の流産から2年も経ってからのことでした。

続く。