連休は全国的に大雨でしたが、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。
それぞれの場所で温かくされていますように。
私は昨日、以前からやりたかった新しい試みを始めました。
何ヶ月か前に札幌で「祈り〜サムシンググレートとの対話〜」という映画にインスパイアされて以来、何人かで集まって祈る集いを行いたいと思っていたのですが、
その時一緒に映画を観た友人2人と、「Prayer Circle(祈りの集まり)」の第一回をようやく持つことができたのです。
これが、想像以上に素晴らしい体験でした。
映画は、筑波大学名誉教授の村上和雄先生の祈りの科学的効果の研究を中心に、海外の第一線の研究者やジャーナリストによる祈りに関するインタビューやエピソードを紹介するもので、
「祈る」という行為が実際にさまざまな良い影響を及ぼすことが明らかにされていましたが、
実際に3人で祈ってみて、集団で祈ることのパワフルさをひしひしと実感しました。
簡単な瞑想とチェックインから始め、その後一人ずつ、今自分が祈りたいことをシェアして、それについて3人で祈る…ということを繰り返したのですが、
気づいたらあっという間に2時間経っていました。
本当にたくさんの気づきをもらったので、そのうちいくつかを皆さんとシェアできればと思います。
まずひとつめは、集団で誰かのために祈ることが、自分の心身の健康にも非常に良い影響を及ぼすことです。
これは私だけでなく、一緒に祈ってくれた2人もまったく同じ感想だったのですが、
祈っているうちに、こちらの身体も暖かくなり、何とも言えない心地よいエネルギーにくるまれるように感じたのです。
これは普段一人で瞑想や座禅をしている時とは、明らかに違う感覚でした。
まさに、「祈りは人のためならず」です(笑)。
そしてもうひとつ感じたのは、「正しく祈る」ということは、実はそんなに簡単なことではないなあということです。
「特定の結果を求めて祈る」ことは、本当の祈りとは言えないのではないかと。
これは以前私が書いたこちらのブログとも共通するテーマだと思うのですが、
その人の人生にとって最良のものは、しばしば、我々の頭が思いもつかないような形でもたらされます。
例えば昨日の集まりで私は、遠くに住む難病の友人のための祈りを2人にリクエストしたのですが、
彼女の話をシェアしているときに、「彼女の病気が治りますように」という祈りは私にはできないことに気づいたのです。
何故なら、病気が治癒するかどうかを決めるのは私ではなく、彼女だからです。
私は今年始め、一人の知人を病気で亡くしました。
彼女の死のプロセスを見ていて実感したのは、
病気になったのも、あのタイミングで亡くなったのも、すべて彼女の選択だったということでした。
彼女は私を含む周囲のアドバイスに耳を傾けることなく、不必要な治療を行って死期を早めてしまったように思えて、
彼女が亡くなった直後は、もっと良いサポートができなかった自分の無力さをやりきれなく感じていたのですが、
よく考えたら、私だけでなく、周囲のどんな人間にも、彼女の寿命を決めることなどできるはずがなかったのです。
彼女の表面的な意図がどうであっても、彼女の寿命は彼女のハイヤーセルフの意図と完全に一致していたということが、
彼女の死後しばらくして、私の中ではっきりと分かりました。
それに気づいて初めて、私は彼女の死を心より受け入れることができました。
昨日の、難病と向き合っている友人に対する私の祈りは、
「彼女にとって最善のことが起きますように」と、
「彼女の病状をコントロールしようとする私の気持ちを手放せますように」のふたつでした。
そして、2人の仲間の力を借りてその祈りを捧げているとき、彼女は確かに光に包まれていました。
そして、祈っている私たちも。
祈りのパワーは、本当にすごいです。
来月の二回目の集いが、今からとても楽しみです。
そして普段の生活でも、祈りを忘れないでいたいなと思います。
藤原ちえこのセラピーはこちら
メルマガ登録はこちらから
藤原ちえこの著作はこちらから