最近、立て続けに、懐かしい方々の名前を目にする機会がありました。
一人は、昔お世話になったお医者様です。私の翻訳した本を読んでくださったようで、そこから私の消息を知り、葉書をくださいました。
当時私はまだ新聞記者をしており、初めての転勤直後にストレスとプレッシャーのあまり倒れてしまい、彼の勤務する病院に担ぎ込まれたのでした。その体験がなければ、おそらく私は現在のような仕事をしようとはまったく思わず、今でも記者を続けていたことでしょう。そう思うと人生は不思議ですし、もう何年もまったく思い出すこともなかったのですが、その先生とも不思議なご縁を感じます。
こうやって昔の知人が連絡をくれるなんて、本って出してみるものですね(笑)。そういえば、以前新聞に性的虐待の通報制度について投書したときも、学生時代に家庭教師をしていたときの教え子からメールが来てびっくりしました。やっぱり、見ている人は見ているものなんですねえ。
もう一人は、米国での大学院時代のスーパーバイザーの一人です。私はカリフォルニアの心理士の資格も持っているので、向こうの心理士会(California Assosiation of Marriage and Family Therapistといいます)にも属しているのですが、昨日、そこから二か月に一度送られてくる会報をぱらぱらとめくっていたら、見覚えのある彼の顔写真が目に飛び込んできました。非常に残念なことに、それは訃報で、一瞬心臓が止まるかと思ったほどのショックを受けました。
私は一時期、ナラティブ・セラピーに傾倒していたことがあり、ナラティブ・セラピーの専門家である彼に頼んでスーパービジョンを受けていました。私は今でもナラティブは哲学としては大好きですが、実際のセラピーの技法としてはあまりにも頭が勝ちすぎているので、あまり評価していません。彼とのスーパービジョンは従って毎回それほど話がはずまず(笑)、現地で私がお世話になった数多くのスーパーバイザーの中では最も印象が薄い先生でした。それでも彼の人柄は好きでしたし、まだ亡くなるような年齢でもなかったはずなので、遺された家族の心中を思うといたたまれません。
訃報を読むと、彼がいかに同僚から愛されていたセラピストだったかがよく分かります。こんな形での再会は悲しいですが、それでも、彼は人々の心の中にこれからもずっと生き続けるのでしょう。彼の冥福を心よりお祈りしたいと思います。マイケル、どうもありがとう。