あなたの行為は、誰かを救っているかもしれません


先日のとあるセッションで、
あるクライアントさんから、胸を打つ話を聞きました。

 

彼女が中1のとき、 社会科の授業で、
教科書をたどたどしくしか読めなかった同級生に対し、
担任の先生は、
「そんなこともできないなら、人間やめちまえ
と言ったそうです。

 

それを聞いた彼女は、
あとで職員室に行き、
担任に、
「そんなこと言って、本当に彼が死んじゃったらどうするんですか」 と、
詰め寄ったそうです。

 

それに対し、
担任からはさらにひどいことを言われてしまい、
その時感じたショックや憤りが、
今回のセラピーの主要なテーマになったわけですが、
担任の発言を看過しなかった、
若い彼女のまっすぐさに
わたしはとても心を打たれました。

 

そして、思い出したのが、
わたしが高3のときのエピソードです。

 

当時の担任が、
確か2学期か3学期始めのある朝、
ホームルームで、わたしたちにこう言い放ったのです。

 

「わたし、このクラスあまり好きじゃないのよ。
だから、あなたたちには早く卒業して欲しいわ」

 

もちろん、クラス中が呆気にとられましたが、
正直、わたしは心の中で、
それほど驚いてはいませんでした。

 

彼女は、英語の授業内容だけは素晴らしかったものの、
かなり子どもっぽい性格で、
もともと、生徒から人望があるタイプではなかったからです。

 

「ま、彼女なら言いそうなことだ」
わたしはそう思って、流していました。

 

おそらく、
クラスメートの大半も、
似たような反応だったんだと思います。

 

その日、わたしたちの間で、
その一件が話題になった記憶すらないので。

 

でも、クラスの中に一人、
それを看過しなかった同級生がいたのです。

 

彼はその日、たまたま日直で、
日誌に、こう書いていました。

 

「人には、言っていいことと悪いことがあると思う

 

・・で、それに対する担任からのコメントは、
「何かつらいことがあったのね」(爆)。

 

・・・つまり、先生、
自分のことを言われてることにすら、気づいてなかった(笑)。

 

でも、その同級生(Tくん)は、
そこであきらめませんでした。

 

翌日の放課後、
わたしはたまたまTくんが、
担任と一緒に、 英語の教科室に入っていくところを見ました。

 

「進路の相談かな」と、
わたしは特に気にも留めていなかったのですが、
なんと翌朝のホームルームで、
先日の発言に対する謝罪が、
担任の口からあったのです。

 

日誌に書いても埒が明かなかったので、
Tくんが直接、 担任に談判した結果が、
この謝罪だったことは、 明らかでした。

 

わたしはそのとき、しみじみ感動しました。

 

わたしは当時、
「この担任には何を言っても無駄だわ」と諦めていて、
彼女が失言をしても、
それについて、ろくに彼女とコミュニケーションを取ろうともしなかった。

 

でも、Tくんは違いました。

 

担任の発言を聞き流さず、
ちゃんと、言われて嫌なことは嫌だったと伝えた。

 

その結果、担任は、
自分の発言をクラス全員の前で撤回し、詫びた。

 

自分の良心に従って行動した彼の気概を、
あれから何十年も経つ今でも、
わたしは、時々思い出して、
心の奥底が、じんわり温かくなります。

 

わたしたち全員が見下された時に、
彼は、黙って引き下がらなかったのだと。

 

そしてわたしは、
たまたま彼が担任と教科室に消えていったのを見たから、
事情を知りましたが、
ほとんどのクラスメートは、
なぜ担任がいまさら謝罪したのか分からなかったはずです。

 

わたしのクライアントさんの勇気ある行動も、
担任に罵倒された当の少年は
おそらく知らないことでしょう。

 

でも、誰かが、
自分のために立ち上がり、戦ってくれた。
(たとえ、こてんぱんに負けようとも)

 

その事実は、回り回って、
エネルギーとして、
当の本人を、
本人も気づかぬうちに、温めてくれたはずです。

 

あなたの知らないところで、
あなたのために、
祈ったり、
戦ったり、
見えない方法で、助けてくれている人は、
必ず存在します。

 

そう。

 

たとえ、誰も知らなくても、
あなたが勇気ある行動を取った時、
その英雄的行為は、
必ず他の誰かを救っているのです。

 

あなたもぜひ、そのことを覚えておいてくださいね。

 


ちょうど、こんな感じの教室だったなあ。
こちらのサイトからお借りしました)

 

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