前回の記事の続きです。
札幌一有名な不妊治療クリニックの門を叩き、そこで出産できる可能性が限りなくゼロに近いことを告げられ、子どもを持つという望みをなんとか捨てようともがき苦しんでいた私でしたが、実のところ、全然自分の気持ちに折り合いをつけることができませんでした。
いくら瞑想しても、セラピーを受けても、全然気持ちが吹っ切れない。
この頃の私は常に、両側が断崖絶壁になっている、平均台ほどの幅しかない土手の上を、かろうじてバランスを保ちながら歩いているような気分でいました。
一歩間違えると、たちまち奈落の底に落ちてしまう。
しかも、自分が一体何者なのかがだんだん分からなくなってきて、何をしていても、誰といても、常に自分が何か/誰かのふりをしている感じがしていました。
どちらの感覚もまったく合理的ではないし、子どもに恵まれないという事実に対する反応としても完全に意味不明ですが^^;、
感覚は、理屈を超えたところにあるから感覚なのですよね。
とにかく、私はそういう気分でした。
そんなある日、ネットサーフィン中に、名古屋のとある不育症専門クリニックのホームページに行き当たりました。
そこに書かれていた不育症治療の実績と、不育症の詳しい説明、治療には精神面のケアも含まれていること、院長の写真とブログから伝わってくる人柄などはすべて、心身ともにボロボロになっていた私には読むだけで癒される内容でした。
勇気を出してクリニックに問い合わせのメールを出してみたところ、すぐに院長本人が長い返信をくれ、名古屋はたまたま私の出身地でもあったので、思い切って名古屋まで行ってみることにしました。
実際に会った院長は、プログの印象そのままの優しいドクターで、彼の柔らかな名古屋弁のアクセントを聞いているだけで、ほっとしました。
そこで詳しい検査をし、治療方針も決まりましたが、結局私は、そこへ2回通っただけで通院をやめてしまいました^^;。
・・・これはまさしくパラドックスなのですが、
やっと心から信頼できるお医者様に出会たことにより、逆に「もういいや」と思えたのです。
まさに「憑き物が落ちた」という感覚でした。
私は今生では、自分で子供を産めなかったけど、もういいや。
もうこれ以上、妊娠しようとじたばたするのはやめよう。
心からそう思うことができて、ようやく私は、それまでの数年間自分にかけていた様々な制限を外すことができました。
いつ妊娠するか分からないから・・・と控えていた海外出張も再開し、
身体の心配をせずに好きなものを好きなだけ食べ、お酒も飲み、
好きな時間に好きなことをして、のびのびと生活を楽しむことを自分に許せるようになりました。
この時の体験から痛感しているのは、不妊治療をするにあたって、信頼できるお医者様と出会うことがどれほど大切かということです。
不妊治療は、出口の見えないトンネルです。
そして、必ずしも最後がハッピーエンディングになるとは限りません。
いくら治療を続けても結果が出ない場合、その結果を引き受けてその後の人生を前向きに生きてゆけるかどうかは、
その過程でドクターがどれだけ、患者の心に寄り添ってくれたかが大きく左右するのではないかと思います。
私は最後にそういうドクターに出会えてとても幸せでした。
(・・・まあ、そもそも治療らしい治療は全然しませんでしたがね^^;)
そして、彼に出会ったことで、かなりスムーズに養子縁組に気持ちを切り替えることができて、(もちろん、ドクターから養子縁組を勧められた訳ではないのですが)
それからは、びっくりするほどのスピードで物事が前に進み始めました。
ドクターに初めて会ったのが、2012年の3月。
その年の秋には養子縁組を真剣に考え始め、翌年3月には里親登録を済ませ、2014年の7月に、我が家に生後5ヶ月の赤ちゃんを迎えました。
養子をもらうことを決意してから、我が家に娘を迎えるまでに要した時間はわずか2年弱。
自力で子供を産もうとジタバタしていたのは5年ほど。
つまり、私は最初から、通常とは違うルートで子どもを授かる(預かる)ことになっていたんですね。
運命(イコール、生まれる前に自分で描いていた人生シナリオ)に逆らうとろくなことはありませんが^^;、
まあ、私が心から納得して本来の道に戻るには、それだけの年月が必要だったということでしょうね。
ドクターとの出会いに、心から感謝しています。(ちなみにこちらのクリニックです)
・・・続く。
とてもとてもパワフルだった獅子座の新月/日蝕をはさむ数日間、ハワイのBig Islandで、とある女神たちの集まりに参加してきました。
観音様や聖母マリアをはじめとする女性のアセンデッドマスターたちから毎日transmissionを受ける、本当に稀有な機会でした。
もう元の私には戻れないことがはっきりしました^^;。
先へ進むのみ!