お気づきかと思いますが、
本日より、
ブログのタイトルを変更しました。
タイトルの変更は、
実はしばらく前から考えていました。
私はもちろん、
トラウマ療法を専門とするセラピストで、
その仕事が大好きだし
仕事内容にも誇りを持っているわけですが、
「トラウマ」という限定された言葉では、
私のところに来てくださるクライアントさん一人一人の
体験や人生の豊かさは
まったく表現できません。
もちろん私にとっても、
セラピストという肩書きは
私という人間の
ほんの一部を表現するものでしかない。
なので、
旧タイトル(トラウマセラピストの気まぐれ日記)には、
何となく居心地の悪さを
感じていました。
かといって、
なかなかうまいタイトルも見つからず、
時間ばかりが過ぎていたのですが、
先日、こちらの記事を書いた後に
ふと思い出したことがありました。
2005年の初め、
まだアメリカに住んでいた時に見た夢のことです。
(もう12年も前になるんですね・・・)
当時私は、
米国でのセラピスト修行を終えて
帰国する直前でした。
7年ぶりの日本での生活。
正直、
不安の方が大きかったです。
スピリチュアルでのんびりした
北カリフォルニアの空気に
すっかり馴染んでしまった私が、
かっちりした日本社会で
またやっていけるんだろうか。
そもそも、
仕事見つかるんだろうか(爆)。
私のワークを
必要としてくれる人がいるんだろうか。
もしいたとしても、
私は彼らに
ちゃんとつながれるんだろうか・・・・。
もんもんとしていた私に、
当時一番の仲良しだった友人が、
「ガイダンスが必要だったら、
夢で受け取るといいよ」
と、
夢でのメッセージの
受け取り方を教えてくれました。
寝る前に、
何かテーマを決めて、
自分の天使とガイド、
ハイヤーセルフに、
そのテーマに関して
自分に必要なガイダンスと
メッセージを
夢の中で見せてもらうように頼む。
そして、
そのメッセージを
朝目覚めた時にも
しっかり覚えていられるようにも
お願いする。
その通りに
ガイドにお願いをしてから
眠りについたところ、
効果てきめん。
・・・・。
夢の中に、
一枚の白い紙が出てきて、
そこに、
黒々とした文字で
はっきりと
こう書かれていました。
「明鏡」
・・・それだけ(笑)。
明鏡??
・・・意味不明。
あまりにも
はっきりとした
夢だったので、
きっと私にとっては
大切なお告げなんだろうと
思いましたが、
なんだか
中国語みたいに聞こえるし、
響きもちょっと
イマイチだ・・・(苦笑)。
そう感じたので、
帰国して
自分のカウンセリングルームを立ち上げた時にも
「明鏡カウンセリングルーム」には
しなかったし、
(やっぱり、なんか変ですよね・・笑)
その後授かった
(正確には「預かった」ですが 笑)
娘の名前にも、
「明」も「鏡」も
使いませんでした。
でも、
先日の記事の中で、
「鏡」という言葉が
ごく自然に出て来た時に、
改めて気づいたことがあります。
そうか。
私がセラピストとして
一番やりたいことって、
目の前にいるクライアントさんの
鏡になることなんだ。
しかも、
一点の曇りもない、
純粋な明るい鏡に。
・・・改めてブログを読み返してみると、
私すでに結構使ってました。
鏡という言葉(笑)。
やはりあの夢が
ずっと潜在意識に
残っていたのでしょうね。
ドン・ミゲル・ルイスをはじめ、
さまざまなマスターたちが常に言っていることですが、
私たちはみな、
自分の過去の体験というフィルターを通して、
自分自身と周りの現実を見ています。
そのフィルターは例えば、
恐怖だったり
怒りだったり、
寂しさだったり
自信のなさだったりします。
鏡に映る自分の顔を見ても、
そういうフィルターがかかっていれば、
本来の、
何一つ欠けたところのない
完全な自分の姿を見ることは
なかなかできません。
だから
セラピストという仕事がある。
セラピストの役割は、
その人の上手くいかない部分を見つけて
そこを治そうとするのではなくて、
誰もが本来持っている
癒しの力、
つまり、
本人が見失っている自分の本質を、
本人の代わりに映し出すことです。
本当の自分が、
実はどれほど美しいかに気づけば、
癒しは勝手に起こります。
だから私がやることは、
なるべく純粋な鏡になれるよう、
自分を日々磨くことです。
そして私自身も、
本当の私にどんどん近づいていこう。
私が鏡を見たときにも、
そこに本来の自分の姿が
ちゃんと見えるように。
新しいブログタイトルは、
私のそんな決意表明でもあります(笑)。
これからも
どうぞよろしくお願いします。