皆様、
毎日暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、今日はこのブログには珍しく、ちょっとだけ政治的な話から入ります。
世間では連日、安保関連法案のことが新聞紙面を賑わせていますね。
私はそれほどじっくり世論をフォローしている訳ではないですが、
ちょくちょく聞くのが、「感情論ではなく理詰めで議論せよ」という主張です。
世の中では通常、感情<理性という等式が成り立っているようですが、
今日のブログは、それに対する異議申し立てとして書かせていただきます(笑)。
「感情よりも理屈が正しい」というのは、真実からはほど遠い、男性社会にとって都合のいい刷り込みに過ぎないと私は思っています。
人間は、基本的には、感情で動く生き物です。
人生で最も大切なことは、普通、感情で決めるものです。
その最たる例が、結婚相手でしょう。
結婚相手(あるいはパートナー)は、基本的に相手が好きかどうかで決めるものですよね。
そうではなく、収入、社会的地位、外見・・・などで相手を選んだ場合は、
おそらくその結婚は長続きしないか、
仮に続いていても、内実は破綻していることが多いのではないかと思います。
それは自分が就く職業についても同じことです。
その職業が本当に好きで選んだのではなく、
「安定しているから」「世間の評判がいいから」「親に言われたから」「お金がないと生きて行けないから」などといった理由で選んだ人は、
仕事を続けるうちに鬱になったり、同僚と摩擦を起こしたり、身体を壊したり・・・といった結果になることが多いのではないでしょうか。
感情の大切さについては、なんと、あのアメリカの最高学府でさえ今は認めているくらいです。
「ハーバード流交渉術」で有名な、ハーバード・ネゴシエーション・プロジェクトの著書「話す技術・聞く技術」(原題:Difficult Conversation)で、著者はこう述べています。
「むずかしい話し合いとはただ感情をともなうというばかりではなく、本質的に感情をめぐるものなのだ。感情はむずかしい会話につきもののわずらわしい副産物ではなく、対立関係の主要な一部である。感情について語ろうとせずにむずかしい会話に取り組むのは、音楽抜きでオペラを上演するようなものだ」
この本は原題通り「難しい会話」がテーマの本ですが、
私はそれだけではなく、人のすべての言動は基本的には感情から発していると思っています。
なのに、特に男性が公衆の面前でネガティブな感情を表すと、すぐに「女々しい」ということになり、場合によっては公職を追われちゃったりもするんですよね。
でも、感情を抑え込むと、それは回り回ってその人や周囲の人を苦しめ続けてしまいます。
私の尊敬するあるお坊さんの本に、インドで生まれたばかりの赤ちゃんを亡くした女性の話が出ていました。
そのお母さんは、寺院で気も狂わんばかりに取り乱し、着ていたサリーがズタズタになるほど暴れながら一晩中泣き叫び続け、
そのお坊さんは、「彼女は一生立ち直れないに違いない」と思ったそうです。
ところが、翌朝出会ったその女性はケロっとしており、笑顔で朝食をたいらげ、破れたサリーをまとい直して、すっきりした顔で帰宅していったそうです。
感情には本来、いいも悪いもありません。出来事に対する自分の心身の反応であり、ただ通り過ぎるものです。
なのに、それを抑え込んでしまうから、ずっと苦しさが自分の内側に残るのです。
思いっきり自分の感情に素直になれば、子どもを亡くすという、人間にとって考えられる最大級の悲しみのひとつでさえ、一晩で昇華できるんだなあ・・と、それを読んでびっくりしたことを覚えています。
安保法案への異議申し立てに、「戦争は嫌い」「死にたくない」「人を殺すのは嫌」という感情以上の理屈なんて何にもいらないと私は思います。
その意味で、今回平和運動のデモを主導した一人が若い女性だったことは、とても素敵でした。
女性は男性に比べて自分の感情にアクセスしやすいという素晴らしい特質があるがために、男性優位の社会からは特にそこを攻撃されてきましたが、
本来「女々しい」という言葉は、褒め言葉であるべきです(笑)。
皆が自由に、ネガティブとされる気持ちも含め、感情を自由に感じ、表現し合える社会になればいいな。
そうすれば、戦争も、自然になくなっていくんじゃないかな。
そう感じている、いちセラピストのつぶやきでした。
皆様もどうぞ、毎日、泣いたり笑ったりしてお過ごしくださいね。
藤原ちえこの本のamazonページはこちら
藤原ちえこのセラピーはこちらから
メルマガ登録はこちらから