ご無沙汰しています。数日前に長い東京出張から戻りました。
東京で仕事の合間に行った素敵なイベントや、札幌に戻ってからの楽しい週末の遠出など、アップしたいことはいろいろあるのですが、今まだ出張からの疲労回復の途中なので(笑)、しばらくお待ちください。
たださっき、ふと思い出した古い記憶があるので、今日はそのことについて書いてみます。
小学校時代の、校長先生との思い出です。
私が卒業するときの校長先生は、その前は同じ学校の教頭先生でした。
つまり、授業を受け持ってもらったこともなく、それほど接点がある先生ではなかったのです。
私の卒業当時は、サイン帳ブームで、子ども一人一人がサイン帳を用意して、同級生やいろいろな先生方に卒業に際してのメッセージを書いてもらうのが流行っていました。
卒業間際に、それほど面識のなかった校長先生からもとりあえずメッセージをもらおうと友人数人と校長室へ行ったのですが、
先生はニコニコ笑って、「先生は別の方法でメッセージを考えているから、ちょっと待ってね」といってサイン帳には記入してくれませんでした。
そんな出来事も忘れ、卒業式当日を迎えました。
校長先生の壇上のはなむけの言葉は、「どんな人にも良いところがあり宝がある」というものでした。
そして、クラスに戻って卒業証書が入った筒を開けると、そこには一枚の短冊が入っていました。
そこには、「どんな人にも良いところがあり宝がある。あなたの宝は・・」と書かれ、
その横に、私の名前と、「明朗でやさしく、豊かな感受性を持っていること」と書いてありました。
周りを見ると、ほかの子ども全員の筒の中にも一枚一枚短冊が入っていました。
私が卒業した小学校は、小規模校とはいえ、1学年100人以上の児童がいたと思います。
そして校長先生は、普段授業で私たちと接することなどなかったはずです。
なのに彼は、一人ひとりの子どもを見ていてくれた。しかもその子の、一番光輝く部分を見ていてくれた。
当時の私は、それがどれほど私にとって力を与えてくれるものだったかにあまり気づいていませんでしたが、
何十年も経った今、何故か彼の言葉をふと思い出し、私は号泣してしまいました。
私は子どものころから、自分の鋭すぎる感受性が嫌で、どうにか傷つかずに世の中と折り合いをつけて生きていくことに全力を挙げてきたといっても過言ではないのですが、
当時の校長先生は、それを私の長所であり宝だという風に見てくださっていたんですね。
そのことに、私はあらためてどれほど励まされているか分かりません。
教師って、本当に偉大な職業ですね。
名前も忘れてしまった校長先生、本当にありがとうございました。