PTSDとは

PTSD(心的外傷後ストレス障害)に関しては、名前こそ認知されるようになってきましたが、まだ日本では大きく誤解されている部分があります。精神医療界の一部では、「最近は、PTSDという診断を乱発しすぎだ」という批判もあると聞きます。その是非はともかくとして、専門の医者でも、PTSDやトラウマについて誤解している場合は多々あるようです。

ここでは、そのPTSDとトラウマについて、できるだけ一般の方にも分かりやすい言葉で説明し、さまざまな誤解を解いていきたいと思います。

まず、アメリカ精神医学会の診断・統計マニュアル第4版(DSM-Ⅳ)におけるPTSDの定義を見てみましょう(訳は藤原による)。

A. その人が、以下の両方を含むトラウマとなる出来事にさらされたことがある。

  1. 実際の死や重傷、あるいはその恐れがある出来事、または自分や他人の身体的統合がおびやかされる危険を体験したり、目撃したり、直面したりした。
  2. その人のその出来事に対する反応には、強い恐怖、無力感、戦慄が含まれた。注:子どもの場合は、まとまりのない、あるいは動揺した行動として表現されることがある。

B. トラウマとなった出来事が、以下のひとつ以上の方法で繰り返し再体験され続けている。

  1. イメージ、思考、知覚を含む、その出来事の反復的、侵入的な回想。注:幼い子どもの場合は、トラウマの主題や場面が表現された反復的な遊びが起きることがある。
  2. その出来事に関する、反復的で苦痛を伴う夢。注:子どもの場合、内容を認識できない悪夢であることがある。
  3. そのトラウマとなった出来事が繰り返されているかのように行動したり、感じたりする(その体験を再現する感覚や、錯覚、幻覚、乖離性フラッシュバックのエピソードを含み、覚醒時、または薬物やアルコールの影響下で起こるものを含む)注:幼い子どもの場合、トラウマの具体的な再現が起きることがある。
  4. トラウマを引き起こした出来事のある側面を象徴し、または類似している内的あるいは外的きっかけにさらされることへの強い心理的苦痛。
  5. トラウマを引き起こした出来事のある側面を象徴し、または類似している内的あるいは外的きっかけにさらされることへの生理的反応。

C. トラウマを連想させる刺激の持続的な回避と、トラウマ以前には見られなかった一般反応の麻痺が、以下の3つまたはそれ以上において見られる。

  1. トラウマを連想させる思考、感情、会話を避ける努力
  2. トラウマを想起させる活動、場所、人々を避ける努力
  3. トラウマの重要な側面を思い出せない
  4. 重要な活動への興味や参加が顕著に減少する
  5. 他者との解離や疎遠の感覚
  6. 情緒範囲の限定(例えば、愛する感情を持てない)
  7. 未来が短縮された感覚(例えば、キャリア、結婚、子ども、平均寿命などを期待していない)

D. トラウマ以前には見られなかった持続的な亢進症状が、以下の2つかそれ以上に見られる。

  1. 入眠、睡眠維持の困難
  2. いらいら感、怒りの爆発
  3. 集中の困難
  4. 過度の警戒心
  5. 過大な驚愕反応

E. 障害の期間(B,C,Dの症状)が一ヶ月以上続く。

F. 症状が、社会的、職業的、あるいは他の重要な機能面で臨床的に多大な苦痛または障害を引き起こす。

トラウマ(心的外傷)というのは、とても奥が深く一見謎めいています。皆さんの中には、基準Dのように、夜眠れなかったり、いつもいらいらして集中できなかったり、人がこわくて外出できなかったり、ちょっとしたことにすぐおびえてしまうという症状に悩んでいたり、あるいは基準Cのように、物事に何も興味が持てない、生きているという実感がない、自分には将来などないという感覚のような、いわゆるうつ状態に長く苦しんでいるのに、過去に何かトラウマを引き起こすような出来事を経験したという記憶がまったくない人もいるでしょう。あるいは、何年もの間ふつうに暮らしてきたのに、ふとしたきっかけで上記のような症状に悩まされるようになり、原因の心当たりがなくてとまどっている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

実は、トラウマというのは、皆さんが一般に考えているよりもずっとありふれたものなのです。一般的にトラウマとされている戦争体験やレイプ、子ども時代の虐待や、地震や洪水などの自然災害以外にも、トラウマを引き起こす要因はたくさんあります。例えば交通事故、落下、けが、重い病気、手術など病院での処置や歯医者での処置、困難な出産、愛する人を突然失うことなどです。DSM基準のAに、PTSDの前提として「実際の死や重傷、あるいはその恐れがある出来事、または自分や他人の身体的統合がおびやかされる危険を体験したり、目撃したり、直面したりした」とありますが、「実際の死や重傷、あるいはその恐れがある出来事」「自分や他人の身体的統合がおびやかされる危険」というのは、実はとても主観的なものです。客観的にみて、「こんなことで命がおびやかされたりしないよ」と思うことでも、本人がそれを身の危険と知覚すれば、それがトラウマの原因となるのです。

しかし、トラウマの癒しにおいて、実際のトラウマが何であったかは、実はあまり重要ではないのです。多くの人が、「どうして自分は今このことに苦しんでいるのだろう」と「なぜ」という問いに執着し、自分の症状の原因を探りたがりますが、原因を探ることは重要ではないばかりか、癒しのプロセスに必ずしも必要ではありません。なぜそうなのかを次に見てみましょう。

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