母の日に寄せて


日曜日は、母の日でしたね。

 

自分の母親に思いを寄せ、感謝を捧げる日です。
SNSでも、国内外の友人が、亡き母とのツーショット写真をアップしていたり、子どもにお祝いしてもらったことを書いていたりしていて、微笑ましく読んでいました。

 

で、タイトルからして、わたしも自分の母親との思い出を書くのかと思われたかもしれませんが、違います。
(わたしがそんな当たり前のこと書くはずがありません 笑)

 

自分のお母さんに素直に感謝できる人は、とても幸運だとわたしは思います。
そういう人たちはそれが当たり前なので、あまり自覚はないかもしれませんが、
お母さんに感謝できるほどお母さんのことを好きだということ自体、
そうでない人から見れば、人生というマラソンを1時間早くスタートできるくらいのアドバンテージをもらっているということです。
だから、素直に自分の幸運を喜んでください。
(そして、そんな関係を築いてくれたお母様に対する感謝ももちろん忘れずにo(^▽^)o)

 

今日の記事は、母親に(まだ)感謝できない人、母親を(まだ)許せない人たちのために書きます。

 

わたしは職業柄、母親から本当に過酷な仕打ちを受けてきた人にたくさん会います。

父親から性的虐待を受けていたのにずっと見て見ぬ振りをされていた、
日々凄まじい言葉の暴力を浴びせ続けられた、
まったく食事を作ってくれず、小さい頃から自分で食事を用意していた、
常に同居の祖母の悪口を聞かされ、ずっと板挟みだった、
ある日突然、兄弟だけを連れて家を出ていき、父親と後に残された、
毎日殴られていた・・・・。
(きりがないのでやめます)

 

そういう人たちが「親に感謝しろ」と言われてもなかなかできるはずはありません。

 

でも世の中には、
「親に感謝すると人生がうまくいく」
「親に感謝して初めて幸せになれる」
といった言説もあふれているので、
親に感謝できないという事実そのものに苦しんでいる人も多いのではないでしょうか。

 

でもわたし、はっきりここで断言したいのですが、
親を許せなかったり親に感謝できないことが、人生を損なうのではありません。
人生をうまく行かなくする最大の原因は、自己嫌悪です。

 

だから「親に感謝できない自分」「親を許せない自分」を、どうぞ嫌わないでください。

そんな自分を許してください。

あなたが受けた仕打ちを考えたら、親を許せなくても、感謝できなくても当たり前ですから。

 

「いやいや、でもわたしがそう言う親を選んで生まれてきたんだ」
「あの親は、わたしの魂を成長させるためにそう言う役割を引き受けてくれたんだ」
「親も過酷な幼少期を送ったから、わたしにああ言うことをしても当たり前だ」
などと反論したくなるかもしれません。
でも、そういったスピリチュアルな意味づけはとりあえず脇に置いておきましょう。

 

もちろん、より広い視点から見ればそりゃそうかもしれません。
でもそれは、頭で理解することではありません。
あなたが受けた様々なつらさをバイパスして、一足飛びにその境地に達する必要はないのです。

 

むしろ、先にそちらへ行ってはいけません。
というか、行くのは無理です(笑)。
いくら頭ではスピリチュアルな理解をしていても、自分の心身に刻み込まれたつらさが解消されていなければ、
身体はいつでも、自分をそこに引き戻すからです。
なので、ずっと死にたい気持ちが消えなかったり、
ちょっとしたことですぐ鬱になったり、
不安が出てきたりということが繰り返されてしまいます。

 

癒しにはまず「逃げる」という段階が不可欠です。
そして、親を避ける、許さないというのはこの「逃げる」段階に当たります。

 

毒親から逃げて安全な場所に来て、そこでゆっくり癒しに取り組んで初めて、
そして、「生まれてきてよかった」と思えて初めて、
自然と、親に対する理解が生まれたり、
自然と怒りが消えたり、
自然と許せたり、
自然と感謝できたりするようになるのです。
(「こんなに辛いなら、生まれてこなければよかった」と思っているうちは、産んだ張本人である母にはなかなか感謝できないですよね 笑)

 

 

母の日や父の日に、親に感謝できないことが悲しくなったら、
わたしがお勧めしたいのは、
自分にとっての「親代わり」の存在に感謝することです。

 

壮絶な虐待を生き延びたわたしのクライアントさんには、こう話していた人がいました。

 

「空がわたしのお母さんだと思うようにして、空をよく見ています」

 

それって、本当に素敵ですよね。
空は、いつも見上げればそこにある。
昼も夜も、頭上に空がない瞬間はないんですから。

 

 

わたしも、母親との関係が非常に悪かったのですが、
お母さん代わりの無数の存在に助けられて生きてきました。

 

子どもの頃近所に住んでいたおばさん、
話をよく聞いてくれた高校時代の先生(男性でしたが 笑)、
学生の時、よくご飯を食べさせてくれた年上の友人、
社会人になってから、悩みを聞いてくれた他社の先輩、
いつもわたしを丸ごと肯定し励ましてくれた元夫、
留学中に知り合った、いつもわたしの一番良いところを見てくれた素晴らしい年上の友人たち。

 

愛は、受け取ろうと思えばどこからでも受け取れるのです。
もちろん、人からだけではなく、空からも月からも、自然からも。

 

 

自分の両親に感謝できないあなたが、母の日や父の日に、
自分の親代わりの存在に、心の中で花束を贈れますように。

 

 

 

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