罪悪感について、必ず知っておいて欲しいこと


罪悪感。

 

何か悪いことがおこるたびに、
「わたしのせいだ」
過去の出来事も
「わたしが悪いから、ああなったんだ」
と思ってしまう。

 

そして、その思い込みに伴う
感覚の不快さといったら。

 

本当に、厄介な感情です。

 

もしあなたが、
罪悪感にさいなまれがちだとしたら、
これから書く話は、
ぜひ知っておいて欲しいことなので、
どうぞ最後までお読みください。

 

 

わたしはこれまでに、
1000人以上の方に
9000件を超えるセラピーを行ってきましたが、
かねがね、
幼少期の家庭環境が過酷な人であればあるほど、
(親から受けた虐待がひどい人であればあるほど)
自分を責める傾向が強いのは、
なぜだろうと思っていました。

 

世の中には、
自分の子どもに、
信じられないくらいの、
ひどい虐待を繰り返す親がいます。

 

もちろん、
それらのケースのいくつかは、
新聞やテレビでも取り上げられますが、
言うまでもなく、
それらは、氷山の一角どころか、
氷山の、水面に出ている部分の、
さらに頂上付近に過ぎません。

 

虐待された子どもが、
死んでしまったからニュースになるのであって、
親からの仕打ちに歯を食いしばり、
死なずに生き延びた、
何百万人もの子どものことは、
世間から、完全に忘れ去られています。

 

わたしのところには、
本当に光栄なことに、
そうして生き延びた方たちが、
大勢来てくださいます。

 

そして、彼らを見ていると、
自罰傾向の強さと、
幼少期の環境の過酷さは、
ほぼ比例していることに気づきます。

 

親から本当にひどい仕打ちを受けていたのに、
(欧米で明るみに出たら、必ず逮捕されるレベル)
なぜか、 自分が悪いと思っている。

 

わたしが今でも忘れられない
あるクライアントさんは、
母親のお腹にいるときから
(そして出産の時も)
わたしだったらとても生き延びられなかったろうと思えるような
本当に過酷な家庭環境に生まれた女性でしたが、
(しかも、ただ生き延びただけではなく、
本当にチャーミングで、
多くの人に愛されていました)
セラピーで自分の深い部分に触れるたびに、
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と言って泣き叫ぶことの 繰り返しでした。

 

彼女の身体の声に耳を傾けていくと、
常に、 次の言葉にたどり着くのです。

 

「わたしがわるい」。

 

この言葉が文字通り、
骨の髄まで、
細胞の一つ一つに、
刻みつけられているかのようでした。

 

彼女はどう考えたって、
まったく悪くないのにです。

 

あれほど過酷な仕打ちを受けつつ、
成人してからも、
自分をひどい目に遭わせた家族に対してさえ
とても優しい人だったのに。

 

 

罪悪感は、
あらゆる感情の中で、
もっとも波動が低い感情のひとつです。

 

 

かつて一世を風靡した
デービッド・ホーキンス博士の、
「パワーか、フォースか」 という本があります。

 

この本の中で博士は、
人間の意識レベルをマッピングしているのですが、
(最高値の純粋意識が1000、
愛が500、
勇気が200など)
彼によると、 罪悪感は、
怒り(150)よりも、
恐怖(100)よりも、
絶望(50)よりも、
低い意識レベル(30)だということです。

 

(ちなみに彼は、
もっとも低い意識レベルが
「恥」(20)だと言っています。
恥の感覚については、
わたしの著作で1章を費やして書いていますので、
ぜひそちらもお読みください)

 

罪悪感は、
恥の感覚と並んで、
人間の心身をもっとも蝕む、
もっとも不必要な感情です。

 

上記のクライアントさんも、
数ヶ月に一度のセラピーを受けるだけでは
残念ながら、
骨身に染み込んだ罪悪感を解放するまでに至らず、
やがて婦人科系の癌を患い、
何年か前に
40代の若さで
亡くなりました。

 

(わたしは今でも
セラピー中に
彼女の存在を感じることがあります。
このブログも
きっと彼女がわたしに書かせているんだと思います)

 

そして、 この、
破壊的であるにもかかわらず、
トラウマが重い人ほど強く感じがちな罪悪感に関して、
何ヶ月か前、 セラピー中に、
ようやく腑に落ちました。

 

トラウマが重い人ほど罪悪感が大きいのは、
それほどまでに、
抱えている怒りが大きいからです。

 

ちなみにわたしは、
怒りという感情を
まったく悪いものだとはとらえていません。

 

セラピーでの回復の目安のひとつが、
クライアントさんが
本来怒るべき対象に対して
きちんと怒りを感じられるようになることだとさえ
思っています。

 

でも、
幼少期の虐待を生き延びた人は、
虐待者に対する怒りが
途方もなく大きいため、
それを感じると
自分も相手も破壊してしまいかねないと、
意識のどこかで信じています。

 

だからその、
怒りの爆発による大惨事を避けるために、
より安全な感情=罪悪感
置き換えているのだということに
ようやく気づきました。

 

「わたしがわるい」
「わたしのせい」
と考えるのは、
一見、非常に無力な状態に思えますが、
実は、
その主語が 「わたし」であるため、
そこにはある種の力が宿っています。

 

あまりにも理解不能な環境で育つと、
子どもの頭で、もっとも納得がいく理屈は、
「自分のせいだ」 なのです。

 

(そのことについては、
こちらのブログに書きました ↓ )

小さい子どもにとって、世界が理解可能な場所であることの大切さ。

 

自分のせいにしておけば、
自分の内側にマグマのように大量にたまっていて、
いったん噴火したら、 地球を破壊しかねないほどの
この激しい怒りに
蓋をしておける。

 

わたしの中には、
そんな破壊的な怒りなど、
存在しない。

 

そう思い込み、
完全に表面意識から
怒りを消去してしまった人が、
その怒りを消去し続けるために、
もっとも都合の良い感情が、
罪悪感なのです。

 

そういう観点から見ると、
罪悪感も、
その人が生き延びるために必要だった
大切な感情であったことに 気づきます。

 

で、
この罪悪感や
その下にある 強烈な恥の感覚
そして、 地球を破壊してしまいだいほどの怒りに
一人で取り組むことは
残念ながら、できません。

 

怒りは、本当は、
自分を守るための、
とても大切な感情です。

 

そして、 その怒りを、
なかったことにしようとすれば
怒りは、
自分の内側で爆発を起こして
時には、 自分の命さえ、奪います。

 

(感じられない怒りが原因で
亡くなったわたしのクライアントさんは
他にもいます)

 

でも、その怒りを、
本来向けるべきだった
自分の外の対象に
きちんと向けて 感じ切れば、

(実際に その相手を攻撃したりする必要は
まったくありません。
怒りの行動化は
言うまでもなく
余計にひどい事態をもたらしますからね)

その怒りは速やかに解消され、
怒りが解消されれば、
罪悪感は、
きれいさっぱりなくなります。

 

だからもしあなたが、
常に自分を心の中で罵倒し続けているとしたら、
(または、やり場のない怒りに日々苛まれているとしたら)
ぜひぜひ、 訓練を積んだセラピストの助けを借りてください。

 

わたしは、あなたが癒されることを、
心の底から祈っていますからね。

 

 

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