大変大変お待たせしました。「癒し」シリーズ、ようやく再開です。何と、前回のポストからはや5ヶ月・・・・(スミマセン!)。
前回のシリーズ10回目を書いた後、私は体調を崩したのでした。
この体調不良にも実は私は意味があると思っていて、これは私のハイヤーセルフからの、「お前さん、偉そうに自分の癒しの旅の総括なんぞしようとしているが、ホントにもうお前さんの癒しのジャーニーは終わったのかね?」というメッセージだったような気がします(苦笑)。
ここ数ヶ月の私の体調不良の原因は、気管支炎でした。
気管支炎は、私が小学生の頃しょっちゅうかかっていた病気です。(成人してから気管支炎になったことはほとんどないのですが)
そして、ルイーズ・ヘイによると、気管支炎の原因は、「争いごとのたえない家庭環境」だそうです。
・・・・ドンピシャ(爆)。
はい、争いごとの絶えない家庭環境にいた小学生の私の癒しがまだ積み残されたままだったんですね。
ごめんね〜小学生の私。
・・・ということで、秋はものすごくインテンシブに、毎週のように米国のセラピストからスカイプでセラピーを受けました。
受けてよかった。
私いま、人生で一番精神的に健康です。
でも、癒しの旅って、別に終わりはないんです。
終わりはなくていいんです。
どんなに健康で幸せでも、人生にはいろいろなことが起きるし、いつだって、もっともっと健康で幸せになっていいんですから。
上には上があるんですよ。
そして、上に行けば行くほど、ますます毎日がキラキラと輝き始めるんですよ。
例えば、私自身の経験でいえば、確実に、今現在の自分が人生で一番楽ですが、
5年前にも、同じことを思っていました。
でも5年前の自分を今振り返ると、いろいろ大変だったよな〜と(笑)。
これは私のセッションでもよくあることですが、
たとえば、ずっと歯を食いしばって生きてきた人は、
それがその人にとって普通の状態なので、自分のあごが苦しいという自覚がありません。
あごがゆるんだ時に初めて、今までの自分のあごがいかにカチカチだったかに気づくのです。
今の私は、些細な日々の日常がキラッキラで、例えばお皿を拭いているだけでも楽しいですが(笑)、きっと、今の自分がまだ知らない、もっともっと楽な状態というのもあるんだろうなと感じています。
・・・楽しみ。
前置きが長くなりました。
1年間の英国暮らしの後、1999年に私は米国の大学院で心理学を学び始めました。
私は自分の卒業した大学院(CIIS)が大好きで、折に触れてそのことをこのブログでも書きまくっていますが(笑)、
何が良かったかというと、臨床家になるために一番大切なことをブレずに教え続けてくれたからです。
それは、「良いセラピストになりたかったら、まず自分自身の癒しに取り組むこと」です。
(これについては、大学院の話と合わせてシリーズ6回目に詳しく書いてありますので、そちらをご覧ください)
大学院に入って最初の学期の必修科目に、「Therapeutic Communication」というクラスがありました。
これはその学期で最もきつかったクラスのひとつでした。
3時間の授業の内訳は、まず最初の1時間で毎週何十ページも読まされる文献について皆でディスカッションし、
(ひさびさに当時の授業のリーダーを開いてみましたが、ヨガや瞑想やマインドフルネスの文献から転移やクライアント中心主義の文献までという幅広さでした。やっぱりCIISですね 笑)
次の1時間で先生が皆の前で行うセラピーのデモを見て、
(先生が学生の中から一人を選んで実際にセラピーを行います。私はこの頃はまだクライアント役に立候補する勇気がありませんでしたが・・・笑)
最後の1時間で、セラピーの実際のエクササイズを行うというものでした。
どういうエクササイズかというと、
一番最初の授業でまず、これからの15週間共にワークを行う3人組が決められ、
その3人の中で、誰が誰のセラピストになるかを決めます。
そして、1人がオブザーバーになり、毎週毎週、同じクラスメートに20分ずつセラピーをして、もう一人の同じクラスメートから20分ずつセラピーを受けるわけです。
・・・超実践的。
そして、毎回毎回、授業が終わると次の授業までにレポートを提出しなければなりません。
その内容も、前回の授業についての自分の内側のプロセスをまとめるというものでした。
この授業の担当は、ブランドンとゲイルという2人の先生(ご夫婦でもありました)だったのですが、何回目かの授業の後、ゲイルから、「皆さんのレポートを読んでいますが、非常に表面的です。もっと自分を内省して書いてください」と言われちゃったりしました。
……どうですか? 聞くだけでもキツそうでしょう。
はい、キツかったです(笑)。
毎々毎回、あらゆる角度から自分自身の内側を見つめることを求められ、
(あ、授業の最初は、当然瞑想から始まります。それはCIISでのクラスのほとんどがそうでした)
みんな、だんだん精神的におかしくなってきました(笑)。
そして先生からも「自分もセラピーを受けなさい」と口すっぱく言われるので、私もセラピーにかかることにしました。
授業で毎週ゲイルとブランドンのセラピーセッションを交代で見せられるので、彼女が優れたセラピストであることは良く分かり、
私を含め、クラスメートの多くはゲイルにセラピーを申し込みましたが(彼女はユング派でした)、
大学院で教えるようなセラピストはもちろん実力があって予約がいっぱいの人が多く、彼女にも新規クライアントを受ける余裕はなかったのですが、代わりに別のユング派のセラピストを紹介してくれました。
紹介してくれたセラピストは中国系の女性だったので、きっと私にはぴったりだと思ったのでしょう。
勇んでそのセラピストに連絡を取りましたが、彼女のセラピー料金は当時の私には高く、料金のスライドもしないと言われたため、
(米国のセラピストは低所得者のために一定数のクライアントは低料金で引き受ける人が結構いますが、そういう枠を設けなくても自分のプラクティスが満員になるようなセラピストはなかなか料金を割り引いてくれないのも事実です)
残念ながら、彼女とのセッションはできませんでした。
そして、そのセラピストがさらに紹介してくれた、割引を適用してくれる別のユング派女性セラピストのところに通うことにしました。
……長くなってしまったので、ここでいったん切ります。以下次号。
今日もどうぞ良い一日を。