人は鏡


皆様、

お元気でお過ごしでしょうか。

さて、さまざまな生き方の本やスピリチュアルな本の中でよく言われることがあります。

「周囲の人間のある部分を嫌だなと感じるのは、自分の中にも同じ部分があるからだ」
……いわゆる「反面教師」っていうやつですよね。ふむふむ。

私もしばらく、この言葉を深く胸に刻み込んでいた時期がありました。
周囲の人に対して「あっ、嫌だな」と思ったときは、「私の中にもそういう部分があるんだ。じゃあそこをなくしていけばいいんだな」と自戒し、いろいろ自分の内側を見つめたりしていました。

でも、そういう考え方って、何だかあまり優しくないし、楽しくもないなと最近思うようになりました。
それよりも、こう考えた方が楽に生きられるなあと思って私が編み出した格言がこれです。

「周囲の人間のある部分を素敵だなと感じるのは、自分の中にも同じ部分があるからだ」
……いかがでしょうか(笑)。

例えば、スピリチュアルな本を読むとします。
そして、その中に書かれていることに深く感動し、目からうろこが落ちるような瞬間が訪れたり、
「これって本当に真実だ!」と興奮したりするのは、
もう自分の奥深くでは、そこに書かれていることをすでに知っていたからだと思います。

それと同様に、
誰かの美しい部分を見るためには、
自分の中にすでにその部分がなければ、
絶対にそれが美しいと分かるはずはないのです。

それに気づいたとき、私はすごくうれしくなりました。
だって、自分の大好きなあの友人や、あの先生や、あの知り合いのあの素敵なところが、
自分の中にも眠っているのかもしれないなんて、考えただけで元気が出ませんか?

そしてさらに思ったのは、
マザー・テレサやガンジーの生き方に、あれほど多くの人が感動を覚えるのは、
人間の中には本来、ああいう美しさが備わっているということなのではないかということでした。
つまり人間は、
どんな環境で育とうが、
どんなつらい目にあおうが、
何が善で何が美かということは、教えられなくても知っている。
だから、過去にどんなつらい目にあっても、それでその人の生き方が完全に決まってしまうということはないんだと。

だからもし今あなたが、
とてもとてもつらい思いをしていて、
自分が嫌で仕方なくて、
自分の嫌いな面しか見つけられない時は、
自分の周囲にいる大好きな人たちの好きなところをちょっと思い浮かべてみてください。

それが「好き」だって分かるのは、あなたの中にもその美点の芽が眠っているということですから。
そしてその友人なり、パートナーなりがあなたを好きでいてくれるということが、
あなたの中にも宝物があるという何よりの証拠なのですから。

最近、冬の山散歩にはまってます(といっても寒いのでいつも30分くらいしか歩かないんですけどね 笑)。