セルフケアは、何よりも大事


不思議なことに今回の旅行では、現地でも日本に戻ってきてからも時差ボケがありませんでした。
これはきっと、私の中がさらにクリアになってきていることと関係があるんだろうなと思います。
・・・というか、出発前の方がある意味時差ボケしていたのかもしれません(笑)。夜更かし朝寝坊の生活パターンが改善されて、何だかすごく調子が良いです。

帰国以来すでに10人近い方とのセッションを終えましたが、ほとんどの方のプロセスが前よりもさらに深まった印象を受けました。これまで決してたどり着けなかった自分の中の深いリソースを感じたり、胸の中にしまいこんできた痛みに触れてそれを涙で洗い流したり・・・といった感動的なシーンに数多く立ち会わせていただいています。

そして私は確信しているのですが、これは、私自身が米国で自分のセルフケアに力を注いできたことと無関係ではないはずです。

セラピストである私が、自分の中をクリアにすればするほど、自分自身が楽になればなるほど、私のところへいらっしゃる方たちの癒しのプロセスも深まっていく。

これは実は、当たり前のことなのですね。

私は「自分の身を削って人に奉仕する」という考え方が嫌いです。

米国で働いていたとき、私の上司の一人がまさにそういう人でした。
ホームレスの子どものための素晴らしい施設を運営していて、子どもたちに愛情を注ぎ、子どもの母親たちや周囲の人たちからはまるで神様のように思われていましたが、内面はとても不幸な人でした。そして周囲に良い姿を見せている反動が、我々生活を共にしているスタッフの方に全部跳ね返ってきていました。今回の渡米では本当に偶然、その時代に苦楽を共にしたインターン仲間に再会したのですが、彼女もそこでの体験の過酷さをしみじみと振り返っており、我々は2度とその施設に足を向ける気になれないという点で完全に意見が一致しました(笑)。子どもたちは本当に恋しいのですが・・・。

人間はそのように、どこかでバランスを取らなければ生きていけません。私のかつての上司のように、自分を犠牲にして人に尽くしてストレスをため、それを部下に向けて発散するというのは、結局本人にも周りにとっても不幸なことです。

私のところへ来る方の中にも時々、「自分だけがこういう場所に来て妻が来ないのは妻に悪い」などとおっしゃる方がいますが、
セルフケアに力を注ぐということは、利己的なことではありません。

すごく極端に言えば、自分が不幸であることは社会に対する不正なのです。
世の中で犯罪を犯している人々を見てください。彼らは皆とても不幸で絶望していたり、激しい怒りを抱えていたり、強い自己不全感を抱えていたりしています。そして私はいつも思うのですが、彼らは彼ら自身の個人的な不幸を犯罪という形で体現しているだけではなく、私たち一人一人の意識に潜む怒りや不幸や絶望を凝縮して表現してくれているような気がするのです。そういう意味では、私たちの誰もが社会で起きている悲劇に責任の一端があるはずです。だから幸せな人間が増えれば、その分世の中から犯罪が少なくなるに違いありません。

それだけではなく、本当に幸せな人は、必ず周囲の人間も幸せにします。

自分のニーズを大事にすることは、周りの人にも彼らのニーズを大事にしてよいのだというメッセージを伝えることです。そしてこのことは、特に人を助ける職業の方たちに知っておいていただきたいと思います。

・・・なんだか書いているうちに熱くなってきてしまいました(笑)。

今日もこれから5人の方と楽しくセッションです。その合間にしっかり自分の鍼の先生のところへも行ってきます。セルフケア、セルフケア(笑)。