赤毛のアン


無事、一泊二日の温泉旅行から戻ってきました。今回はただ、ひたすらのんびりしてしまい、天気もあまりよくなかったせいで、ほとんど写真を撮ることもしませんでした。食べて、温泉に浸かって、ぼーっとして、また食べて・・・という、これ以上望めないような休暇でした。

今回は連れ合いの仕事に便乗して行ったので、昼間一人でいるときにゆっくり本でも読もうと、旅行前日に図書館であれこれ本を物色しました。でもどうも、ぴんとくるものがあまりない。仕方がないので児童書のコーナーへ行き、結局借りたのは子ども時代にさんざん読んだことのある児童文学数冊でした。

その中に、「赤毛のアン」シリーズの9巻と10巻を混ぜておきました。「赤毛のアン」シリーズ全10冊は、少女時代の私の一番の愛読書で、何度繰り返し読んだか数えきれないほどです。それこそどの巻も暗記するほど読んだはずですが、もう20年以上前だし、9巻と10巻はアンとは直接関係のない周囲の人々のエピソード集なので、きっと内容も忘れていて楽しめそうだと思って選んだのですが、これが大正解でした。

旅館の部屋でのんびり寝そべりながら、またカフェでお茶を飲みながらページをめくっているうちに、私がなぜこれほどアンのシリーズが好きだったかを鮮明に思い出しました。どのページにも、作者の人間に対する温かい見方と愛情があふれています。私は子ども時代、あまり家庭的な愛情を感じられずに育ったので、これらの本をむさぼり読むことでどれだけ多くのものを得ていたのかが、改めてひしひしと分かりました。

本当に、愛というものは、受け取ろうと思えばどんな所にも転がっているものです。少女時代にあの本との出会いがなければ、私の人生はきっと少し違ったものになっていたことでしょう。懐かしい本を読み返すうちに、私に書物という形であふれんばかりの愛情を注いでくれたモンゴメリに対する感謝の気持ちがこみ上げてきて、ものすごく泣いてしまいました。

ちなみに今回図書館へ行ってみて初めて知ったのですが、「アン」シリーズの翻訳は、オリジナルの村岡花子さんのもの以外に、もう何人もの違う訳者の版が出ているのですね。他の訳者のものも少しめくってみましたが、やはり私にとっては何度も読んだ村岡花子さんの訳でなくては全然しっくり来ず、彼女のものを借りました。確かに少し古めかしくはありますが、村岡花子さんの翻訳は素晴らしいと思います。

これはまったくの余談ですが、村岡花子さんの孫で、最近「アンのゆりかご―村岡花子の生涯」という本を出版された村岡恵理さんを、私は子どもの頃少し知っていました。小学生のときに大阪で同じガールスカウトの団に所属していたのです。年齢や経歴を見るとたぶん間違いないはずです。私は当時とても内気でおとなしく(皆様信じられますか。わはは)、ガールスカウトも親に入れられて嫌々行っていたので、かなり勝気で活発だった彼女とは別に仲が良かったわけではなく、おそらく向こうは私のことなど全く覚えてはいないでしょうが。HPで彼女の写真を見て、きっと良い年の重ね方をされてきたんだなあと感じました。彼女のおばあ様には本当にお世話になったので(笑)、いつか彼女にも再会してみたいものです。

・・・なんだか長くなってしまいました(笑)。