トラウマのしくみ

私が使っているトラウマ治療のメソッドを開発したピーター・リヴァイン博士は、トラウマについて、従来とはまったく異なる見方を提案しました。心理学者であると共に生物物理学者でもある彼は、以下の2点からトラウマのしくみに注目しました。

  1. シカやウサギなどの野生動物は、日常的に捕食動物からの攻撃にさらされているのに、何のトラウマも受けていない。
  2. トラウマの種類が何であれ、人間が苦しむトラウマの症状はほぼ同じである(不眠、フラッシュバック、パニック障害など)。

これらの点から、リヴァイン博士は、

トラウマは個々の出来事の問題ではなく、神経系統の問題である

という結論を導き出しました。

一般的に、危機に直面した人間(動物)は、

  1. 逃げる
  2. 戦う
  3. 硬直する

の、3つのうちいずれかの行動を取ります。逃げられるときは逃げますし、逃げ場がなくなれば戦いますが、その両方ともがうまく行かなかった場合は、凍りつくしか方法がありません。そして、この硬直するという対応には、実はいくつかのメリットがあります。

まず、野生動物の場合、「死んだふり」をすることで、捕食動物が攻撃をゆるめる場合があります。ライオンは獲物を口にくわえて、安全な巣に持っていってからゆっくり食べようとするかもしれません。運が良ければ、その隙を突いて逃げ出すことができます。また、ある種の捕食動物は、動いている獲物しか狙わないという本能があるため、相手がじっと硬直してしまうと、もうそれ以上追いかけることができません。敵が追跡意欲をなくして立ち去れば、動物は硬直状態を解いた後は自由になることができます。

もうひとつの利点は、硬直することで、その瞬間の苦痛を感じずにすむことです。交通事故に遭った人が、事故の瞬間を覚えていなかったり、子ども時代の性的虐待の犠牲者が、その出来事を覚えていなかったりするのはよくあることです。これは、身体にとどまっているのがあまりに危険な場合、人は苦痛を避けるために自動的に肉体を離れた解離(かいり)の状態になることがあるからです。

逃げるときも戦うときも、人間(動物)の神経系はフルスピードで回転しています。硬直しているときも、一見何も起きていないように見えますが、実は体内では同じように交感神経が全速力で活動を行い、膨大な量のエネルギーを作り出しているのです。危険が過ぎ去ったとき、動物は硬直から解かれ、身震いして過剰なエネルギーを振り落とし、何事もなかったかのように立ち去ります。これはすべて原始的な脳による、本能に基づいた行動です。しかし、人間の場合は、脳の知的部分が邪魔をして、この自然で本能的な反応が起こりません。したがって、過剰に喚起されたエネルギーは行き場を失い、出口を求めてさまようことになるのです。リヴァイン博士は、この、行き場を失った過剰エネルギーが、トラウマのさまざまな症状を作り出していると考えました。

人間の脳の本能をつかさどる部分は、原始時代とほぼ同じままです。原始時代の人間は、常に危険にさらされていました。そのため、危機に際してはエネルギーを全力で放出して危険に対処するよう、人間の脳と身体はいまでもプログラムされているのです。

したがって、癒しの鍵は、この過剰エネルギーを徐々に解放してやることにあります。従来、トラウマ治療は、主に心理面からのみ語られ、身体面からはほとんど語られることがありませんでした。伝統的なトラウマの治療法としては薬物療法(トラウマの症状を薬で抑える)、カタルシス療法(トラウマについて激しい感情的追体験をすることでトラウマの解放をこころみる)、認知行動療法などがありますが、いずれもトラウマ治療に関しては長期的な効果があまり見られないと言われています。

リヴァイン博士は、「癒しのプロセスは、劇的でなければないほど、またゆっくりと起これば起こるほどより効果的である」と言っています。リヴァイン博士が開発したソマティック・エクスペリエンス(SE)は、身体感覚を主に使ったまったく新しいタイプのトラウマの治療メソッドです。ここでは、身体からの過剰エネルギーの解放に重点が置かれるので、トラウマについて語ることは重視されません。トラウマが、記憶が発生する前の乳幼児期に起きている場合、トラウマの犠牲者がそれを語る言葉を持たないのは当たり前なのです。「意味」を追求しないことはまた、偽りのトラウマの記憶の発生を防ぐことにもなります。

トラウマは複雑で謎めいており、時として一生癒えることのない牢獄のように思えることがありますが、本来は決してそうではないのです。トラウマは、どんなに重いものでも変容可能であり(時には時間がかかるかもしれませんが)、一生薬を飲み続けたり、治療に通う必要性があるものではありません。さらに、大きなトラウマをくぐり抜け、癒し、より良い自分に変容したという事実は、その人にとっては何物にも代えがたい財産になると私は信じています。

(参考:ピーター・リヴァイン著「心と身体をつなぐトラウマ・セラピー」(雲母書房)

次に、さまざまな場面での具体的なトラウマについて見ていきます。

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