やっと会えた〜娘を我が家に迎えるまで その23


昨日の記事の続きです。

ついに朗報〜娘を我が家に迎えるまで その22

2014年7月某日。
とうとう、赤ちゃんとの初対面の日がやってきました。

 

乳児院の玄関をくぐり、まず通された部屋では、院長と、里親担当のKさん、児童相談所のSさんが迎えてくれました。

 

Kさんからしばらくの間、赤ちゃんについての説明を受けました。
乳児院に来る過程で多くの大人が彼女に関わったそうですが、
その誰もが彼女を可愛がってくれたこと。
もちろんここでもスタッフ皆に愛されていること。

 

「Mちゃん(当時の彼女の戸籍名)は、愛されるために生まれてきたんだと思いますよ」とKさん。
(これは、その後今日に到るまで、常に私も実感していることです)

 

ただ、私は赤ちゃんに会えるという緊張と興奮から、あまりKさんの話が耳に入りませんでした。
気もそぞろになりかけた頃、Kさんが「早く会いたいですよね」と、私たちを彼女がいる部屋に案内してくれました。

 

10人ほどの赤ちゃんが暮らしている部屋に入ると、担当の男性保育士Oさんに抱かれた女の赤ちゃんが目に入りました。

 

Sさんから事前に「可愛い子だ」と聞いてはいましたが、本当に本当に、本当に可愛い赤ちゃんでした。
真っ黒な瞳と、ぷくぷくのほっぺた。ピンクのベビー服を来て、特別な日だからと、前髪に赤いリボンのクリップをとめてもらっていました。

 

あまりにも可愛くて、彼女の顔を見た瞬間、涙があふれてきました。
(彼女との初対面は笑顔で迎えたかったので、すぐ涙を引っ込めてしまいましたが。今思うと、無理にそんなことしなくてもよかったですね)

 

抱っこさせてもらったら、驚くほど軽く感じて、まだこんなに小さいうちに会えて本当に良かったと思いました。
おまけに私の顔を見て笑ってくれて。本当に、何て可愛かったことでしょう。

 

院長は「あら、(お母さんに)似てるわ」。

 

「顔の似てる親子は上手く行くというのが、うちの院長の持論なんですよ」とKさん。
(私は自分より100倍可愛いと思いましたが(笑)。目元は全然似てませんが、後で同じ月齢の頃の自分の写真を見ると、確かに鼻や口元は私と似ている感じがしました)

 

抱っこしたら、もう離したくなくて、すぐにでも家に連れて帰りたくなりました。

 

 

思えば、最初の流産から8年。
子どもが真剣に欲しくなってからも、すでに5年近くが経っていました。
その間、私の腕の中はずっと空っぽでした。
そして、空っぽであることが悲しくてたまらず、数えきれないほどの眠れぬ夜を過ごしてきた私。
それが今、腕の中にちっちゃな赤ちゃんがいる。
その事実が、まだ全然信じられませんでした。

 

夫と交代で抱っこして、ミルクの作り方を教わり、ミルクをあげて、1時間ちかくは一緒に過ごしたでしょうか。
Sさんから、「そろそろ今後の打ち合わせに入りましょうか」と促されるまでずっと抱っこしていました。
抱っこしながら、小声で「ミヨちゃん(仮名)」とすでに呼びかけていた私でした。

 

 

打ち合わせの時、真っ先にKさんにお願いしたのが、最初から、自分たちがつけたい名前で彼女のことを呼びたいということでした。

 

夫とは、赤ちゃんの名前候補で意見が一致せず、赤ちゃんの顔を見てから決めようと話していたことはこちらに書きましたが、
この日対面したら、彼女はどこからどう見ても、○○ちゃん(夫がつけたかった名前)ではなく、「ミヨ」でした。
夫もそれは認めざるを得ませんでした。

 

それにしても、不思議です。
彼女の顔には、ちゃんと名前が書いてあったんですから。
まあ彼女の場合、自分で名前を選んで私に伝えてきたくらいなので、実は不思議でもなんでもないのでしょうが(笑)。
(そして、似たような経験のある親御さんは、きっと他にもたくさんいるはずです)

 

打ち合わせでは、SさんもKさんもほとんど私の言いなりで(笑)、
私が「今月中に家に連れて帰ります。7月◯◯日はいかがでしょうか?」と提案したら、すんなりそれを受け入れてくれました。

 

養子縁組関連の本やネットでの体験談を読むと、児童相談所などの公的機関を通じた縁組では、大抵の場合、養親候補が何度も子どもの面会に行き、
それから「慣らしお泊まり」として1、2泊の外泊を何度か行ってから、数ヶ月後にようやく子どもを家に連れ帰る・・・というパターンになっているところが多いようですが、
私は最初から、そんなまどろっこしい手続きを取るつもりはありませんでした。

 

仕事柄、生後最初の数ヶ月がいかに大切かが身に沁みて分かっていたからです。
赤ちゃんにとって、家庭という環境で、決まった一次養育者とともに暮らすことがどれほど重要かは、どんなに強調してもしすぎることはないと思っています。

 

 

札幌の児相がなぜこんなにすんなり私の提案を受け入れてくれたのかは分かりません。
おそらく、私の職業が心理士であったこと、
慣らし養育が必要なほど大きな子どもではなかったこと、
札幌の児相がもともとゆるい感じだったこと、
・・・など、諸々の要素の組み合わせだったのでしょうが、
私たち(そして娘)にとっては、とてもラッキーなことでした。

 

初対面から、我が家に迎える予定日まではわずか10日あまり。

大慌てで娘を迎え入れる準備が始まりました。

 

 

・・・続く。

 

 

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