逃げるが勝ち!


皆様、
またもや、すっかりご無沙汰してしまいました。本格的な冬到来の今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?
さて、今日は、私がこのところ、ずっとお伝えしたかった、とても大切なテーマについてお話したいと思います。
そのテーマとは、すばり、「逃げることの大切さ」です。

「逃げる」という行為には、ネガティブなイメージがつきまとっていますが、
実は、逃げることは、生物にとって最も大切な生存戦略だと私は思います。
「逃げるか戦うか」という言葉がありますが、生命の危険にさらされたとき、最も生き延びる確率が高いのは、断然逃げることです。

孫子の兵法に、「百戦百勝は善の善なるものに非ず」という一節があるように、
「戦う」というのは、あくまでも次善の策です。
戦うという行為は、たとえ自分が勝つにしても、その過程で自分も負傷する恐れがありますが、
逃げ切りさえすれば、相手と一戦交えなくてもすむので、こちらが傷つく可能性はずっと低いですよね。

こんなに大切な「逃げる」という行為を忌み嫌っているのは、全生物の中で人間だけです。

何故でしょうか?

人間にだけある理性脳が「恥」という感覚を生み出すからです。
そして、「恥」の感覚は、それを感じるくらいならば命を投げ出してもいいという文化も多々あるのが、悲しいかな人間が作り出した文明社会です。

でもそれって、「生存」という生命の自然な欲求に逆らう、非常に不自然な行為なのですよね。

例えば、最近聞いた話ですが(プライバシー保護のため、細部は変えてあります)、
職場でパワハラにあって鬱になり、転職した人が、帰宅途中の地下鉄の席に座り、ふと顔を上げると、向かいの席に、自分に嫌がらせをした前の職場の同僚たちが並んで座っていた。
そして彼らは、聞こえよがしにその人の悪口を言っている。
でも彼は、「席を立つことは、逃げることになる」と思い、じっと我慢してその席に座り続けた。
その結果、鬱が再発し、新しい職場にも出勤できなくなってしまった。

・・・・はい、そういう時は、お願いですから皆様、どんどん逃げてくださいね。

おそらく、元の同僚たちを見た瞬間、彼のカラダは全力で「そこにいたくない」という反応をしていたはずです。
それなのに、「立ち去るのは逃げることになる」という頭の中の考えによって、身体の衝動を必死で抑えつけてその場にとどまり続けた。
それをわずか数分続けるだけでも、心身にとってはどれほどの負担になることか。
その後で鬱症状が再発しても、まったくおかしくないのです。

上の例に限らず、「嫌なことを我慢してやり続ける」ということほど、身体と心にとって大きなストレスになることはありません。
そして、残念ながら、現代社会では、小学校(あるいは幼稚園)に入学した瞬間から、嫌なことをやり続けることを常に強いられるため、
(考えてもみてください。わずか6、7歳の子どもが、45分間ずっと自分の席に座り続けるなんて、苦痛以外の何物でもないと思います。子どもは動きまわるのが当たり前です)
大人になるころまでには、嫌なことに遭遇したときに、「それから逃れたい」という、正常な生物学的センサーがうまく機能しなくなっていることが多いのです。

「自分が嫌なことを、嫌だと気づく」というのは本当に大切なことです。
(私のセッションでも、そのことに多くの時間を割きます)
そして、「嫌な状況に遭遇したら、そこから立ち去る」ということもです。

え、「逃げるのは負けることになる」ですか?

負けること、大いに結構です。
そもそも、人生は勝ち負けではありませんしね。
人生の目的は、「勝ち続けること」ではなくて、「生き続けること」です。
「手術は成功した。患者は死んだ」というフレーズが昔流行りましたが、たとえ勝ったとしても、自分の中の生き生きとした生命エネルギーを感じられなければ、生きていてもあまり楽しくありませんよね。

逃げて、負けて、それでも毎日楽しく生きていく。
私も、なるべくそんな人生を歩んでいきたいと思います。
(実は私はものすごい負けず嫌いなので、たくさんの自戒も込めてですが 笑)

最近見た日の出です。地球のおかあさん、ありがとう。