everybody is doing their best


皆様、

すっかり秋も深まった今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。

さて、私は今月初め、カリフォルニアで、今私が一番はまっているバイロン・ケイティさんのワークショップに参加してきました。
ご存知の方もいるかと思いますが、ケイティは「ザ・ワーク」というとてもパワフルな自己実現のメソッドを開発した方です。
しばらく前に彼女のことを知って以来、それこそすり切れるほど何度も彼女の英語のオーディオブックを聴き、
彼女が今回初めて「ゆるし」だけをテーマにした5日間の集中ワークショップを行うと知って、無理やりスケジュールを調整してアメリカに飛んだのですが、
予想通り、とても素敵なワークショップでした。

私はこれまでに、数限りないさまざまなワークショップやリトリートに参加してきたいわば「ワークショップ参加のプロ」なのですが(笑)、
今回のワークショップでは、これまでのものとは明らかに違うと感じたことがひとつありました。
通常、ワークショップに参加したときは、参加直後がそのワークの効果を最大に感じて興奮しており、
日が経つにつれてその興奮や効果がだんだんと薄れていくものなのですが、
今回のケイティのワークは、終了時にはそれほどの興奮はなく、単に「ああ、良かったな」と思っただけだったのに、
日が経つにつれて、じわじわと自分の中に浸透していく感覚があるのです。

ケイティは、自分のワークを「100パーセントの許し」と呼んでいます。
彼女の許しの定義は、
「あなたが起こったと思っていたことは、実際には起こっていなかった。
従って、許すべきことなど本来何もない」というものです。
…はい、かなりラディカルです(笑)。

ケイティのワークでは、
あの人にこんなことを言われた、この人にあんなことをされた、あの時あんなひどい目にあった……と私たちがこれまで思い込んできたことが、
4つのシンプルな質問を繰り返すことによって、実は自分の思い込みにすぎなかったということが明らかになっていきます。
んなこと、あるわけないと私も思っていました。
でも、実際にワークを繰り返していくと、
あらゆるものごとに対する意味づけは単に自分の中で起きているにすぎないということが、体感として分かるようになります。
これは、本当に自由になる感覚でした。

今回のワークショップで学んだことはたくさんありますが、
そのひとつが、
「他人を許すことと、自分を許すことは同じ」ということです。
ある思い込みについてのワークをしていたときに、「許された」という感覚がわいてきて号泣してしまったのですが、
それほど感動したのは、私を許してくれたのが他ならぬ私自身だったからです。
このことに気づいたとき、本当にうれしかったです。
それまで私は、その出来事について自分を許していなかったことにすら気づいていませんでした。
許せない人がいるというのは、つまり、自分で自分を許せていないからなんですよね。
自分に手厳しいのは自覚しているつもりでしたが、その手厳しさたるや、私の想像をはるかに超えていました。
自分、すごく可哀想です(笑)。

もうひとつは、
「すべての人は、その人のベストを尽くしている」ということです。
これも、今まで頭では分かった気になっていましたが、
それを身体レベルで実感することは本当に違います。
誰かが、自分の常識では考えられないような言動、行動をしたとしても、
もし私が、その人とまったく同じ人生をたどってきたとしたら、他に選択肢はきっとなかったことでしょう。
そう思うと、安倍首相が何を言おうが、東電が原発事故にどんな対応をしようが、モンサントがいかに世界中で悪事を働こうが、彼等は彼等の世界でベストを尽くしているということが分かります。
もちろん、彼等を理解するということと、彼等の言動を受け入れることは全く次元の違う話ですが、
彼等を見る目が怒りで曇らない分、もっと効果的に自分ができることをやれるようになるでしょう。
どんなに動機が正しくても、そこに怒りがある限り、何らかの苦しさを世界にもたらしてしまうことになりますものね。

……あ、こんなことを書くと、私がすっかり悟って、怒りや恨みとは無縁になってしまったように聞こえるかもしれませんが、
もちろん、まったくそんなことはありません(短気なところはまったく治っていません 爆)。
ただ、これからは、怒ってしまったとしても、少なくともそういう自分を後から責める回数だけは減りそうな気がしています。
許しは、やはり自分からですね(笑)。

生で会うケイティは、予想通り、齢70とは思えないほど若々しく、キュートでパワフルで、ユーモアにあふれた素敵な女性でした。
彼女にハグしてもらってとても幸せでした(笑)。

会場の片隅に咲いていたバラをパチリ。